少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1313 NY3日目

午前11時、Sさんの自宅を出て、遅めの朝食は、有名なチリドッグの店。チリドッグ1つ、チリハンバーガー1つにフレンチフライ、ダイエットコーク1本。美味だが総カロリーは800オーバー。脂まみれのジャンクフードは美味いんだよね。ダイエット〜は明日から〜と言い続けてン十年。
郊外の事務所に寄り、その後、マンハッタンの事務所へ。
本日は恐ろしいほどにトピックスのない平凡な週末。
というわけで、本日は僕のNY感の話。
NYに最初に来たのは、1971年。ジョン・レノンが射殺された直後の真冬のこと。シカゴからグレーハウンドの長距離バスで来た。現在、日本で130店舗、海外ではポートランドベトナムに居酒屋を持つ「K会長」、そう、あの上海「K」のK会長のアパートに転がり込み、飛び込みの日本レストランでバーテンやら皿洗いのバイトをして4カ月ほど過ごした。お湯も出ない、暖房もない狭いワンルームで野郎ども5〜6人が重なり合って寝た日々。全員が別々のレストランで働き、それぞれが仕事を終え、店から余った食材や料理を持ち寄り、深夜から明け方まで酒盛りをした日々。室内なのに吐く息が白い。古着屋で買ったダウンジャケットを着込まなければ凍死してしまう命がけの飲み会。夢とか希望とか目標とか、そんな洒落たものなど一切なかったが、楽し過ぎた。1ドル200円の時代、貧乏学生どもは、エンパイアに登る入場料さえもったいなく思え、外食を含め、ゼニのかかるところへは一切行けなかった。治安も最悪で、街中でホールドアップ(拳銃を突きつけゼニを奪う)を見たこともあった。
だから道を歩くだけで緊張し、週末にレストランからバイト料をもらうとブーツの中に隠し、ダッシュでアパートに帰ったりしたもんだった。
NY感というよりは昔話になってしまいましたが、その時代に比べて、いまのNYは、あまりにも平和過ぎて、まったく緊張感がありません。上辺だけを見ると二流の観光都市。物価が高く、「味音痴」の国民の国だから、外食産業に努力成長の痕跡はまったく見られず、外観雰囲気が優先して、食文化に対する敬意というものが全くありません。
その点、日本の料理人の研究は凄いと思います。特に東京は360度、ライバルに囲まれて営業している感じですから、ちょっとでも「味が落ちた」「店員の態度が無礼」「10円値上がりした」「キッチンにゴキちゃんがいた」とか、ほんの些細な理由で、すぐ、客はお隣の店へと鞍替えしてしまう背水営業。ですから300円の弁当ひとつにも、日本人は手抜きをしません。
ウエイトレスやウエイターのサービスにしても、たいしたことはありません。ごく普通です。なのに、なんでこの兄ちゃんやネーちゃんにチップ(昔は飲食代に対して約10%でしたが、現在は15〜20%です)はずまなアカンねん・・・と思ってしまいます。
まあ、NYを一言で表現しますと、例えばパリコレにも出ているスタイル抜群の超美人、誰もが憧れるブロンドのトップモデルがいた・・・とします。で、どういうわけか、そのモデルを彼女にできた・・・とします。
で、実際に付き合って見ると「足は臭い」し「屁」までこきやがる、「性交」に至っては「家を買ってくんなきゃダメ」だという。話の中身はすかすかでオモロくない。観賞用としては最高だけど、実用性がない。下品極まりない表現ですが、ピッタリだと思います。
ただし、「いいよ、おうちくらい買ったげるよ。いくつ欲しいの?」と言える紳士には、まったく別世界が見えると思いますが・・・。
そんなわけで、夕食は郊外のイタリアンレストランへ。イタリア料理ってこんなにたくさんガーリック使うんでしたっけ・・・という感じ。いつもながらボリュームには圧倒されましたけど、きっとトヨジが毎週末、カミさんと通う岡崎のイタレスの方が日本人にはマッチしていると思います。
懐かしい唄を見つけました。濱田金吾さん・・・。
元クラフトのメンバー。竹内まりやさんや、高橋真理子さんに楽曲を提供しているミュージシャンです。3年ほど、仕事でご一緒させていただきました。たまたま、僕が最初に建てた家(世田谷区千歳船橋一丁目)の町内にお住まいで、同じ「みすずベーカリー」でパンを買うという仲。
金吾さんの「パークアベニュー」というNYを唄った素敵なバラードをアップしたかったのですが、見つかりませんでした。
この曲に、NYの風景を載せれば、もっと雰囲気が出るのでしょうが、技術がないので、いつかはマスターしたいと思います。