1933 頑張れ安藤総理(重力編)3
06/17 彫刻家・山本先生と新宿ゴールデン街へ・・・・早く着きすぎた・・・。この街の店がすべて開くのは、午後9時ごろから・・・。7時はまだ準備中だが、先生の馴染みの店を強引に開け、少しずつ飲む。126日ぶりのアルコールが、うう・・五臓六腑に・・・。
それより・・・なんだ、この重力は?たしかに4カ月間、ずっと車椅子・・・。退院後2日間、ちょっと歩いただけで、もうアキレス腱が悲鳴あげまくり、情けないの極み。アポロ11号から帰還したアームストロング船長が地上の重力に負けて歩けなかった理由が良くわかりました。
午後10時・・・山本先生はとっくに、ゴールデン街梯子サーフィンで、すでに行方不明。先生の助手のデザイナーK嬢がお相手してくれました。おまけに翌朝のパンまでいただきました。もうアカン、限界ということで、総理はタクシーでトンズラして11時消灯・・・足がメッサ痛い。
06/17 午前中、静養&掃除&執筆。床屋に行く予定でしたが、足が痛くて行けず。
夕刻、町屋駅でドラゴン斉藤さんと待ち合わせて、過日、お亡くなりになられた元・プロ野球・東映フライヤーズ投手・尾崎行雄さんの、通夜に町屋斎場へ。
偶然、町屋駅でN刊G代の元上司のOさんと、元・巨人、広島で投手をしていた小川邦和さんとばったり。一緒に向かいました。
ものすごい数の参列者に圧倒され、生前、尾崎さんと交わした、執筆の約束を決行しようと心に決めました。
小川邦和さんが、尾崎さんの草野球のメンバーとは知りませんでした。
無理を申して、帰り道、西日暮里の「ごんらん」に付き合っていただきました。
小川さんはプロ野球選手の中でも、かなりの高レベルな知能派です。尾崎さんの秘話をたくさん聞かせていただきました。
小川さんのプロフィール・・・尾道商業(高三の春の選抜で準優勝)〜早稲田(明大・星野、法大・山本、田淵と同期)、日本鋼管〜巨人〜広島〜ロッテコーチ〜三星コーチ、その間もメジャーで勉強し、還暦を過ぎてから教員免許を取り、2年間、高校生を指導・・・。昨年は大病され療養中。
小川さんとは、小川さんが日刊スポーツの評論家時代、総理が東京中日スポーツの記者のしかも新人時代で、他社の記者なのに、大変、可愛がっていただきました。これは、けっこう珍しいことなんです。
小川さんのことは特集組みますが、なんとドラゴン斉藤さんが、日本鋼管時代の小川さんを川崎球場で見ていたとのこと。野球を知らない人のために例えるなら、「おいら、子供のころ、日本橋あたりで、ちょんまげのおサムライさん、見たことあるだ」って感じです。
ね、けっこう、スペシャルなんですよ・・・。
で、問題なのはN刊G代の、元上司のO氏。O氏も早稲田卒だけど、社内きっての財テク家で、株、馬、牌、で財を築き、ファッションは30年間、ほぼ同じ服にサンダル履き、使う金は古本くらい。独身貴族でマンションの二部屋はタンス貯金ならぬ、部屋貯金に化しているという噂の持ち主・・・。
N刊G代では、数少ない好漢で安藤総理も話しやすい。だから「このあと、Oさんの驕りで一軒いかがですか? Oさんのおごりでね、いいでしょう」と散々アピールしたのです。
で、Oさんが店からの帰り際、「じゃあこれ・・・」とドラゴン斉藤さんに、何やら札束を渡していたのが見えた。Oさん・・・やっぱすげえな・・・でも、そんなにいらないのに・・・でも、まっいいか・・・余ったらキャバクラだ〜と安藤総理のテンションあがりまくり・・・(ガッツポーズ)
「あっ、安藤クン、これ、渡しとく・・・さっきの人が置いてった」どドラゴンがカウンターの上に、札束をバサッ・・・と。
お札が一ま〜い、お札が二ま〜い・・・・お札が五ま〜い・・・。「あの〜ドラゴンさん、これだけ?」「うん、そ〜だよ」あの〜千円札5枚・・・って、ひとり分なんですけど・・・。
でも結局、「ごんらん」のアケミ嬢がオマケしてくれて4人で10000円でお釣りくれたので十分でしたが、可愛い部下と久しぶりに会ったのに、ここはバーンと万札置いて「釣りはいいよ・・・」でっしゃろ・・・アケチクン。
でも、小川さん、Oさん、ドラゴンさんのおかげで、尾崎さんの話を沢山聞くことが出来ました。