2402 さよなら史明さん
2016/06/06 FB投稿記事
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「続けざまに苦しそうな 咳ばらいをしていた 西新宿の飲み屋の親父が きのう死んだ」
長淵剛さんの名曲「西新宿の親父の唄」
きのうは元レーサー・Sさんの葬儀でした。
「わりと淋しい葬式で 春の光がやたら目を突きさしてた」
先に斎場に着いた知人から「Sさんの名前とか受け付けが無いようだけど、ここでいいのかな?」と電話が入る。
「葬儀告別式はやらないそうなので、直接、火葬場に集合みたいです。だからS家の案内はないのでしょう」
午前10時ちょうど、直葬案内の業者さんの呼びかけで、棺の前に参列者が集まる。親族10人、友人知人10人、数えられる人数。享年64歳、密葬には若すぎる年齢、と思う。
私が葬儀社と交渉した切り花15000円分をそれぞれが棺に入れる。花は腰より上しか埋まらない。私は自分の花を、彼の足元に置いた。「Sさん、今度は俺の足、治してね」そう頼んで、あの時はまだ暖かだった足をさすった。もう、こんなに冷たくなってしまっては、温めても生き返らないだろうな、そう思った。
タクシーの運転手さんのようないでたちの数人の職員さんが、丁寧に棺を扱ってくれた。みんな軍手をしていた。棺が二度と戻れないトンネルに吸い込まれ、職員のボタンで重厚な扉が鈍い機械音とともに、スローモーションで降りる。
絞首刑を執行する際、レバーを引く刑務執行官は3名いて、誰のレバーが刑を執行したか本人にはわからないようになっている。それでも3分の1の確率。執行官は任務遂行の慰労として国家法務省から日本酒が与えられ、その日の任務は終了で、帰宅が許される。
執行官と比較したら、職員さんの負担はいささか軽かろう。されど、私なら、あの扉降下の赤いボタンを押す役目は免除されたい。今生の別れの執行官であることは間違いない。幼い子供の場合は辛いだろう。
扉を閉めてから、具合の悪そうな坊さんの読経が始まった。歳も多い、身体が傾いているのは私も同じだ。それにしても纏う袈裟が、ずいぶんとみすぼらしい。私的には、むしろ好感がもてるタイプだが、ここにも費用の格差が歴然。読経料5万、戒名料5万。ロレックスつけてベンツで来る坊さんより、私は好きだけど、けどね。
町屋斎場では8基の火葬マシンが同時に人を焼く。同じ時刻に入る遺族が他に3組。それぞれがそれぞれのお別れ式を、同じ空間で執り行う。幸い泣き叫ぶ光景は免れた。参列者全員が「南妙法蓮華 南妙法蓮華経」と連呼するのはS学会の人々だろうか? 葬儀が終了されたら、皆さんの力で公明党議員に、都政の正常化、人間としての正義正道を、全身全霊で訴えていただきたい。
覇気のない坊さんの読経が終わり、形式的な焼香も終わる。坊さんの費用10万円、葬儀社の紹介料は何割くらいだろうか、つい考えてしまう。
個室に移る。4人掛けテーブルには、瓶のウーロン茶とコーラが6本。袋入りピーナッツとさきいか、まんじゅうが盆に。ビールはない。私は誰かがあけたピーナツを2、3粒かじり、コーラを飲んだ。10分もしないうちに、葬儀場の職員がキャップ未開封の飲み物の回収に来た。「え?持ってちゃうんだ」同じテーブルのメンツは顔を見合わせて苦笑した。
初めて知ったのは、わずか1時間で火葬が終了すること。電気釜の高速炊飯みたいなのがあるみたいで、早かった。高熱ゆえ、骨というか、まさしく灰。時勢の流れ、スピード化は致し方ない。彼の股間に埋まっていた、人工骨だけは骨壷には入れられず、別にされた。僅かな期間だが、彼の体内で過ごしたターミネーター、アスタラビスタ(あばよ)ではちと淋しい。
職員さんが全ての灰を骨壷に収め、ご遺族が簡単な謝辞を駐車場で述べられ、解散した。共通の友人に食事を誘われたが辞退して黒い上着を脱ぎ、ネクタイもはずした。
「古いか新しいかなんて 間抜けな者たちの 言い草だった 俺か俺じゃねえかで ただ命懸けだった」
西新宿の親父の唄で、一番共鳴できるフレーズです。
損か得かを、私も決断の判断基準として考えます。しかし、最終決定は常に「俺か俺じゃねえか」なんです。
まあ、職を転する理由でもあります。でも、まだ生きているので、正解だったということでしょう。
「俺は通い慣れた路地を いつもよりゆっくり歩いてる すすけた畳屋の 割れたガラスに映っていた 暮らしにまみれた俺が ひとり映っていた」
そんなセンチメンタルな気分ではありません、もう見事なオサーンですからね。彼が亡くなった翌日あたりからできた脇下のデキモノを、予備校仲間のM医師に切開してもらい、薬と半額弁当を買って帰る。キッチンはショッカー軍団に制服されている時間帯なので、冷たいまま食べる。特に苦はなく、寂しくもない。
北海道の男の子が、無事保護されたことをテレビで知り、本当に嬉しく思う。良かった。今日の疲れが全部消えました。
合掌。