2747 熱血教師絶滅作戦
9/21-17 書下ろし
少数派日記読者のみなさま、イイねをつけてくださいましたみなさま、ありがとうございます。
体罰問題について、T氏と論争を繰り広げてまいりました。
それは、私の安城北中学時代の経験から確信しているからです。
経験なのだから良いも悪いもありません。結果として正解だったのです。
戸塚先生のおっしゃる通り、体罰は「条件付き」で、善なのです。
私はT氏のように、非体罰で教育しようとする人を否定はしません。
しかし、それは理想論であり、殴られることにより、他人の痛みを知り、あるいは、殴られなければ、他人の痛みや、自分の過ちに気づけないということも、若い時期には必ずあるからです。
現代、殴る側には、逆に、それなりの覚悟が必要です。場合によれば失職に繋がります。
だったら、問題を見て見ぬふりをして、放置するという手段も選択肢としてあるのです。
多くの教師が、現場で「教育」を放棄せざるを得ない状況に追い込まれているという報告もあります。極端に言えば「熱血教師絶滅作戦」です。
人生で唯一、自身の過ちに対して、親以外の第三者から殴られて、目覚めことができる貴重な期間は15歳、中3の卒業式までです。この貴重な時期をぬるま湯で過ごせば、ロクな人間になりません、断言します。
無論、全員ではありません。ごくごく限られた少数の枠の中の子供です。
非体罰論者は、この子たちの、貴重な教育期間を強制的に奪うのと同義語です。
「先生!もし、うちの子が悪いことしたら、遠慮なくぶん殴ってください」
私の理想とする親像であり、教育者との信頼関係です。
もちろん中学までで、高校生になれば、別です。
水が高きから低きへ流れるが如く、人、特に子供は楽な方へと流れます。
ほとんどの人に、そんな経験があると思います。
ちゃんと出来る人も大勢います。
私はちゃんとできませんでした。だから鞭が必要だったのです。
勝敗より楽しむ草野球もあります。
しかし、勝敗が第一目的の野球は楽しくありません。
99%苦しくて、勝った時にその倍以上の達成感という褒美に恵まれますが、
負ければ、残された1%も苦になります。
それを選択したのは紛れもない自分自身なのだから、体罰は受け入れます。
しかも意味のない体罰はないのですから、殴られない奴もいます。
そして、学校という集団生活の中において、生活のルール、校則を守らなかった場合、これも体罰を受ける義務があります。
一歩社会に出れば、例えば駐車違反でも、スピード違反でも相応の罰を受けます。それと同じです。中学生だから許される、学校の中だから無法地帯という道理は通りません。
いかがでしょうか?