3511 雑司が谷空襲
3/12/17
豊島区雑司が谷の我が家もこの日の空襲で全焼しました。
72年前、親父も祖父母も生きていました。僅かな荷物を手に山梨に疎開。
終戦後、戻ると家も庭も焼け野原。
長屋を経営していたと聞くので、それなりの広さはあったのでしょう。
どうして、土地を取り戻せなかったのか、聞く前に親父は他界。
結婚前の母親は調布あたりで看護婦。
定期的に中島飛行機に駆り出され、零戦の部品作りをしたそうです。
12人しか居なかったそうです。親父も仕事がなく代々木のYMCAで英語の教師をしていました。
アメリカにやられたのに、英語を生業にしていたという心境を二人に聞きたいものです。
72年前の3月10日、東京の下町が米軍のB-29爆撃機の空襲を受け、ひと晩で10万人の命が失われました。その後も終戦まで日本全国で空襲は続きました。
その歴史を当時の映像とデータを通して振り返ります。→ http://yahoo.jp/LwP-sw