3993 電信柱に引っ掛けた夢
5/3/17
おはようございます。
長渕剛さんの「電信柱にひっかけた夢」という唄が好きです。
♫実に寒い夜だった 貨物列車の通り過ぎる音がした〜♫ の歌い出しです。
舞台は東中野。中央線を貨物列車が走っていた時代なんですね。
で、♫「ついてねえや」とやぶにらみした明け方の東京♫
というフレーズへと続きます。
東京の夢に敗れた26歳の青年が、おめおめと故郷に帰る様子が描かれた曲。
羽田へ向かう浜松町の公衆電話。
「(この街は)性に合わねえだけさ」と奴に電話を入れる。
♫握りしめてた受話器の向こうで『頑張れや』って奴が泣いた♫
ありったけの挫折を背負い、つぶれそうな胸に、それでも希望の海を泳ごうとする青年。彼がどれほどの決意で東京に出てきたか、それはヒット作「とんぼ」に描かれている、
♫死にたいくらいに憧れた 花の都 大東京 ♫
薄っぺらなボストンバッグに詰められた全ての夢。
自分も安城に満足できたなら、親父の建てた家があり、故郷の友もいて、大人しく中日新聞でサラリーマン記者でもしてれば、少なくとも住食には不自由していなかっただろう。しかし、日々の退屈に発狂していたことも間違いない。
東京は世界への扉。浮いて沈んでまた浮いて。
今朝の写真は中野警察病院8階南側世田谷、杉並方面。
右に早稲田大学中野キャンパス。左の平成帝京大学の向こうに明治大学中野キャンパスがあります。
ラグビー弱小国愛知では、当時ロクな指導者もおらず、練習も先輩から受け継いだ我流。おおよそ実戦であり得ない場面の練習ばかり、無駄な努力と感じつつも変える指針すら見当たらない。
ラグビー部志願者として、重戦車と呼ばれる明大の選手名鑑は規格外の巨漢、FWとしては埋もれるだけ。となれば早稲田。早大の体格なら、まだチャンスはある。グランドは東伏見。私が生まれ住んだ街。
♫俺だって あの日の海を 死ぬまで 泳ぎ切るつもりさ
あぶく銭に埋もれ 一生 男なんか 演(や)りたくねえ ♫
再び、長渕剛の電信柱。
写真、遠方右側に見える煙突は、世田谷区のゴミ焼却場で、その麓が明大ラグビー部八幡山グランド。
本日入院23日目。足の激痛から14日目。まだ痛いですけど、昨夜は初めて茄子コールせず、効かない痛み止めなしで耐えれるようになりました。あと少しだと願います。
コメント
チャンマー「ぶちのその歌良いよね〜♬ 目黒新橋の呑み仲間も大好きで🎤必ず歌います😅
退院したら紹介するね👍」
裏総理「ぶちとは随分不敵の上から目線じゃん。でも知っててくれて嬉しい」
チャンマー「デフォ仲間はみんなそう呼んでてついつい…
どんどんカラオケから名曲消えてくからリクエスト応援しないとですね🎤」
ヨシミさん「私も、トンボ好きです。だんだん痛みがやわらいできてるみたいですね」