2495 電信柱にひっかけた夢
5/3-17 水曜日 FB投稿
おはようございます。
長渕剛さんの「電信柱にひっかけた夢」という唄が好きです。
♫実に寒い夜だった 貨物列車の通り過ぎる音がした〜♫ の歌い出しです。
舞台は東中野。中央線を貨物列車が走っていた時代なんですね。
で、♫「ついてねえや」とやぶにらみした明け方の東京♫
というフレーズへと続きます。
東京の夢に敗れた26歳の青年が、おめおめと故郷に帰る様子が描かれた曲。
羽田へ向かう浜松町の公衆電話。
「(この街は)性に合わねえだけさ」と奴に電話を入れる。
♫握りしめてた受話器の向こうで『頑張れや』って奴が泣いた♫
ありったけの挫折を背負い、つぶれそうな胸に、それでも希望の海を泳ごうとする青年。
彼がどれほどの決意で東京に出てきたか、それはヒット作「とんぼ」に描かれている、
♫死にたいくらいに憧れた 花の都 大東京 ♫
薄っぺらなボストンバッグに詰められた全ての夢。
自分も安城に満足できたなら、親父の建てた家があり、故郷の友もいて、大人しく中日新聞でサラリーマン記者でもしてれば、少なくとも住食には不自由していなかっただろう。
しかし、日々の退屈に発狂していたことも間違いない。
東京は世界への扉。浮いて沈んでまた浮いて。
今朝の写真は中野警察病院8階南側世田谷、杉並方面。
右に早稲田大学中野キャンパス。左の平成帝京大学の向こうに明治大学中野キャンパスがあります。
ラグビー弱小国愛知では、当時ロクな指導者もおらず、練習も先輩から受け継いだ我流。
おおよそ実戦であり得ない場面の練習ばかり、無駄な努力と感じつつも変える指針すら見当たらない。
ラグビー部志願者として、重戦車と呼ばれる明大の選手名鑑は規格外の巨漢、FWとしては埋もれるだけ。となれば早稲田。早大の体格なら、まだチャンスはある。
グランドは東伏見。私が生まれ住んだ街。
♫俺だって あの日の海を 死ぬまで 泳ぎ切るつもりさ
あぶく銭に埋もれ 一生 男なんか 演(や)りたくねえ ♫
再び、長渕剛の電信柱。
写真、遠方右側に見える煙突は、世田谷区のゴミ焼却場で、その麓が明大ラグビー部八幡山グランド。
本日入院23日目。足の激痛から14日目。
まだ痛いですけど、昨夜は初めて茄子コールせず、効かない痛み止めなしで耐えれるようになりました。あと少しだと願います。