少数派日記

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“安藤総理の少数派日記”

4564 名将・上田利治監督逝く

7/2/17

プロのAKBストーカー富山の糸屋さんと仙台なう。
糸屋さんは現在、大島優子さんをストーカー中。

さて訃報です。元阪急、日ハムの名将・上田利治監督80歳。
面識はございませんが、あまり知られていないエピソードを書きます。

阪急時代の松永浩美選手から聞いた話です。

松永選手は九州小倉工業高校を二年で中退して阪急の練習生として、ドラフト外入団(プロ野球規約違反として1年間出場停止処分)。

彼のエピソードそのものは一言で言って苦労人であり、玄人好みの職人選手です。

首位打者も2度、最終試合であと1本で獲得という場面まで迫るも11打席連続敬遠という屈辱も受けました。

上田監督本人も広島での現役生活は三年という、いわば苦労人監督で、松永選手をことのほか、厳しく可愛がっていたそうです。

とある年の西宮球場での阪急-西武戦でのこと。西武の辻選手(だったと思いますが)が決勝タイムリーを放ち、西武が勝利。

同日の西宮の飲み屋でたまたま辻選手と出くわし、広岡監督から辻選手に監督賞として、金一封10万円が出た、と現物を見せられたそうです。

で、翌日の西武戦。今度は松永選手が、サヨナラ本塁打で阪急が勝利。

帰り仕度をしていた松永選手が「マツ」と上田監督に呼ばれ「ホレ」と茶封筒を渡されたそうです。

当時の阪急には報奨金制度はなく、監督賞をもらった選手はおりませんでした。

監督の後ろ姿を確認し、松永選手はそっと封筒を開け、上から覗くと、2枚の札が見えたそうです。
「金持ち西武が決勝打で10万円、うちがサヨナラホームランで2万円、まあ、妥当な金額か」と思い、そのまま懐にしまい、その日の飲み代に当てるつもりで繰り出したそうです。

で、松永選手、監督賞2万円を懐に、焼き鳥屋からスナックにアップグレートして勇み、気持ちよくお勘定し、件の茶封筒から2万円を取り出そうとしたところ、出て来たのは、1枚の5千円札と1枚の千円札の都合6千円。で、もちろん予算オーバー。
サヨナラ本塁打の監督賞が6千円とは泣かせる。
でも、この2枚の札が、上田監督の精一杯の誠意。

人間性が滲み出ていると思い、大好きなエピソードです。

 

以下、ネットのコピぺです。

 

監督通算20年。試合後は負けたときでもインタビューに潔く応じた。「勝ったときは選手に聞いてくれ。その代わり負けたときは俺が何でも話す。選手はそっとしておいてくれや」とどんなにつらい敗戦でも堂々と受け答えした。ベンチには温かな上田節が響いた。監督通算成績は1322勝1136敗116分け。最下位の経験は一度もなく、リーグ優勝が5度、日本一は3度。2003年には野球殿堂入りを果たした。「小さな白球が大きな感動を呼ぶ。その野球ができたことが最高の宝物です」。野球を心の底から愛し、野球に愛され続けた名将だった。

 ◆上田 利治(うえだ・としはる)1937年(昭12)1月18日、徳島県生まれ。徳島海南から捕手。関大では村山実(元阪神)とバッテリーを組み56年の大学選手権優勝。59年に広島入り。現役3年間で通算121試合で打率.218。62年から広島、阪急のコーチを務めた。74~78年、81~88年阪急監督、89、90年オリックス監督、95~99年日本ハム監督。75年から3年連続日本一。78、84年リーグ優勝。監督通算20年で1322勝は通算勝利数歴代7位。03年野球殿堂入り。

ご冥福をお祈りいたします。

 

コメント

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