少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

4948 透析問題〜命の電波

3/20/19

人工透析問題

第一章 繋がった命の電波

・奇跡の波動(2)

この時点で、私が所属する民間の海外医療支援団体が提携しているR病院には二名の日本人患者がいた。うち一名は二週間ほど前に、無事、腎臓移植手術を終え術後治療を受けていた六十代男性。そして、もう一名は約一か月間の平均待機期間をすでに超過し、間もなく二か月目に突入しようかという五十代の男性であった。その五十代の患者は待機に痺れを切らしてきたころで、しつこくはないが暗に「どんな感じですか?」と順番を尋ねてくる回数が日毎増えてきていた。そんな経緯もあり、私はてっきり、その患者のドナーが見つかったのだと勝手に決め込み、ようやくその患者に喜ばしい報告ができると胸を撫で下ろしていた。ところが、事態はまったく違う方向へ展開していた。
 私は五十代の待機患者の名前を告げ、その患者のドナーが見つかったのですね?と、何の躊躇もなくDr・Kに確認した。するとDr・Kから「いや、その患者さんのドナーはまだです。実は先日、検査で来院した今村さんのドナーです」と予想外の名前を告げられた。
「ええ~っ」
まったくノーマークだった。それだけに私の驚きは激しかった。
「それで、今村さん、今どこにいますか?今日中に病院に来ることが出来ますか?」
Dr・Kは間髪入れずに私にそう問いかけた。 
「あっ!」
私は思わず絶句した。何故なら日本にいる今村が本日中に来院することは、それが100%不可能なことだとすでにわかっていたからだった。
「たぶん・・・無理だと思います。彼は今、日本にいますし」
「どうして? 今からならまだ飛行機に間に合う時間でしょ」通訳のN医師がそう言った。
 時刻は中国時間で午前十一時少し過ぎ、時差で中国より一時間早い日本でも十二時を回ったばかりだ。確かに成田発広州行きの中国南方航空15:30発に間に合えば、中国現地時間19:30には広州白雲国際空港に到着し、税関審査を順調に通過すると仮定して夜八時半ごろには到着ゲートから出て来られる。車を飛ばせば60分から70分でR病院に到着は可能だ。遅くとも午後十時にはこちらに辿り着ける計算になる。
「安藤さん、時間ないですよ。すぐに彼に連絡しましょう」とN医師がそう急き立てた。
「あした・・・では遅いですか・・・?」
私は無意味な質問をDr・Kにぶつけてみた。
「あした? あしたはダメです。もし彼が、今日中に来られないなら臓器は別の待機患者に回します。しかし赤血球、白血球ともに彼にとって最適なマッチングです。こんなチャンスが次にいつ巡ってくるかなんて保証できません。他の患者さんに回すにはもったいないくらいの適合率です。無理してでも日本から来る価値は十分にあります。すぐに返事をください。今村さんが今夜十一時までにここに来ることが出来るなら彼に移植を行います」
 なんという運命の空回り。かぼちゃの馬車が迎えに来ることのないシンデレラ。私は今日この日、今村がどんなに来たくても、絶対に来ることができない決定的な事情を知っていたのだ。   

 それは前夜のことだった。日本にいるレシピエント(recipient=移植される側の待機患者)の今村雄仁(仮名)から、中国にいる私の携帯に電話が入った。私は中国国内用の携帯と、日本から持参したグローバルパスポート機能がついた海外でも繋がる携帯の二機を、絶対に紛失しないように長い紐で腰のあたりに結ぶか、もしくは首からぶら下げていた。シャワーの時でさえすぐとれる位置に置いておく。これはドナー情報と待機患者を結ぶライフライン、すなわち命の電話でもあるからだ。そして昨夜、その命の電話が鳴ったのだ。
「もしもし、安藤さんですか? 今村です、こんばんは。きょう旅行会社から電話がありまして、ようやく明後日にはビザが下りて(預預けておいた)パスポートが戻ってきます。そうしたら、本格的にそちらに行く準備をいたしますので、よろしくお願いいたします」
「了解いたしました。明後日ですね。じゃあ、準備はそれから・・・ということですね。わかりました。Dr・Kに伝えておきます」
そんなやり取りをまさに前夜、私は今村と交わしたばかりだったのだ・・・。
 悔しすぎる。最高レベルのドナーが出現したというのに、今、今村の手元にはパスポートがない。中国の病院の視察を兼ねて、検査入院で訪中した際には十五日以内の滞在ということで査証は不要だったが、今回は長期滞在のため事前に査証の取得が必須だった。その申請のため、今村のパスポートは現在、彼の手元にはない。旅行代理店経由で在日中国大使館に提出されたままなのだ。
 過日、今村はDr・Kと中国のR病院で面会し、移植手術が可能かどうかを調べるため短期の検査入院を経て良好な結果で合格と判断された。その後、一旦帰国して旅行代理店を介し、三か月の長期滞在可能な査証の申請をした。その査証が前夜の電話から数えての明後日、つまり明日、完了して彼の手元に戻るという手はずだったのだ。
 どんなに飛行機に間に合おうとも、ドナーとのマッチング適合率が最高だろうとも、彼は今、パスポートを所持していない状況。つまり万事休す、何人にも為す術はなく万にひとつの可能性もない。中国行きは諦めるしかなかった。

(つづく)