少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

6291 闘将・江藤慎一

6/28/21

fa30y(6/28/21) 5:49起床、二度寝7:09 w 935→927

 ジム17クール突入。3/1から皆勤。本日も行きました。しかし、わけあってバイク15分。これは連続出場のための守備固め程度の評価。
 朝、ジムに向かう途中、チャミーのお友達のラッキーのお父さんとばったり。10歳くらい歳上だけど、合気道の大先生。で、杖ついて歩行訓練。聞けば心臓、腰(菌が溜まって、背骨にボルト)、それに肺がん。超ヤバいじゃないですか。
 ただ、腰の病は僕と同じ。で、今週僕が紹介されて行く病院に入院していたそうで情報収集。いろいろ聞かせていただいた。それでジムの時間が圧迫された。笹塚からタクシーで行っても宗教病院へ行くのとほぼ同じ値段と聞いて、ひとまず安心。西新宿にある大病院。

 あと、91歳、老母、本日無事に退院しました。ご心配、ありがとうございました。姉が大活躍で、入院中、退院後のことも全てやってくれました。酒を大量に送ります。

江藤慎一

 名古屋を中心に東海3県の、僕らの時代の青い野球帽のガキどもの憧れの存在でした、ドラゴンズの背番号8。豪快なスイングで、打つ球全部、ホームランにしてしまう。んなわけないのに、きっとみんなそう思っていたはずでした。

 1937年(昭和12年)10月6日、北九州生まれ。(村山実さんと同学年)
しかし、戦争による集団疎開で各地を転々とし、幼少時より新聞配達やアイスキャンデー売りなどで家計を助けていた。八幡製鐵で外野手を務めていた父から野球を教わり、捕手となる。小学4年の1947年に母の郷里である山鹿へ引っ越すと、中学進学後の1950年から本格的に野球を始める。
 4番・捕手として県大会に出場するなど活躍し、中学卒業後は1953年に熊本商業高校へ進学。1年秋からレギュラー、3年の夏の甲子園県予選では、西園寺昭夫を擁する熊本工に敗れて甲子園には出場できなかった。高校卒業後は野球で身を立てようとしたが就職口がなく、日鉄二瀬の濃人渉監督を訪ねた。
 新規採用はもう終わっていたが、江藤の熱意に心打たれた濃人は会社に臨時雇での採用を掛け合って、1956年にテスト入団を果たす。入社後は毎日長時間の肉体労働をこなしたあと、練習に参加。チームメイトであった古葉竹識(元広島、大洋監督)によると、江藤は入社直後は右方向しか打球が飛ばなかったが、濃人の指導できちっとしたスイングを身に付けた。

 1956年から都市対抗に3年連続出場を果たし、1957年の大会では1回戦で鐘化カネカロンと対戦して決勝本塁打を放つ。この試合でチームメイトの村上峻介とバッテリーを組み、大会史上初の完全試合をアシスト。1958年の大会はエース・井洋雄の好投もあって決勝進出を果たすが、日本石油に敗れる。同年の産業対抗では決勝で日本ビールを降し、チームを初優勝に導いた。他の同僚には吉田勝豊がいた。

 ちなみに同僚の古葉竹識だがいろんな縁が絡んでいる。

古葉は熊本済々黌高校で2年の1953年、三塁手として春の選抜に出場。1年上のエース山本勘介(のち阪急)の好投もあり準々決勝に進むが、片岡宏雄のいた浪華商に延長13回0-1で敗退した。
 卒業後は専修大学に進学し、大学同期には後にプロでもチームメイトとなる興津達雄がいた。しかし同年夏休み、母校の済々黌のグラウンドに出向き後輩にプレーを見せていたところ、偶然来校していた日鉄二瀬の濃人渉監督の目にとまり、日鉄鉱業への入社を勧められる。そこで専修大学を中退し、日鉄鉱業に入社。そこで江藤とチームメイトとなり日鉄二瀬の村上峻介投手の完全試合にも江藤とともに参加している。

 1959年、強肩・強打の捕手として江藤は、ドラゴンズへ入団した。が、後に古葉は「江藤は私と一緒の広島に入団すると思っていたが、中日は広島の2倍以上の契約を提示したため江藤は中日に入団した」と述べている。
 実はこの話には裏がある。古葉の言う通り、当初、広島の白石監督は江藤の獲得に熱心だった。ところが濃人監督は江藤の家庭の経済事情から、あえて古葉を広島に推薦したという。古葉に目をつけていたのは東映フライヤーズだったが、当時の東映の内野陣では古葉が入り込む余地がなく、濃人監督の人材の采配は功を奏したカタチとなった。

 江藤は日鉄二瀬入社後から給与の大半を仕送りしていた。そして中日との契約金も全額、実家に送金した。
「自分は高校までだったから3人の弟は大学を出す」と弟たちの学費を全て負担した、リアル左門豊作である。
 私は実弟江藤省三さん(前慶大監督)に「アニキのこと書いてくれよ」と酒席で言われたことがある。江藤さん、そのことをまだ覚えていてくださるだろうか?

 当時の中日には吉沢岳男が正捕手だったため、杉下茂監督は前年引退した西沢道夫が守っていた一塁へと江藤をコンバート、最終的に外野を守らせる構想もあった。
 杉下は江藤を全130試合に起用し、その内125試合は一塁手としての出場であった。森徹の後の5番を打ち、新人ながら打撃面では打率.281・15本塁打・84打点と好成績を挙げたものの、31本塁打を放った桑田武(大洋)が居た為、惜しくも新人王は逃した。
 
 1961年、日鉄二瀬時代の恩師・濃人が中日の監督に就任すると、江藤は初の20本塁打を達成してベストナインにも選出される。1962年には吉沢の移籍によって再度捕手に回り、森徹の移籍で4番も務めるようになった。
 だが、7月10日の巨人戦(中日球場)では判定への不信感から審判をブン殴って退場処分。1963年からは左翼手として打撃に専念し、成績は打率.290・25本塁打・70打点で2度目のベストナイン入りを決めた。
 6月18日の国鉄戦(後楽園)では3回裏に根来広光のソロ本塁打で先制されると、5回裏にも星山晋徳のソロ本塁打で追加点を許し、当時の日本記録である310勝を目前とした先発の金田正一に6回を終わり僅か2安打と、タイ記録を達成されそうなムードになってきた。
 しかし7回表に1点を返した後の一死満塁から河野旭輝が押し出しの四球で同点となり、ジム・マーシャルは三振に倒れたが、江藤が3球目のカーブを左翼席へ叩き込む満塁本塁打で一気に勝ち越した。その後は先発の柿本実から受け継いだ2番手の権藤博が抑え、6-3で逆転勝利し、江藤は試合後の毎日新聞のインタビューに「(打った球が)カーブだった。ボックスに入った時、カネさんがとても気にしていると思い、打てるという予感がした。もちろんねらっていたんだ」と答えた。
 8月25日の巨人戦(中日球場)では6回雨天コールドゲーム(6-6で引き分け)に抗議し、試合終了宣告後も雨の中で一人だけレフトの守備位置に立ち続けた。試合は成立しており2本塁打も記録に残るので引き上げるようコーチに諭されるが、江藤は「勝たなければ意味がない」と引き上げず、杉浦清監督に宥められてようやくダッグアウトに戻った。九州男児の意地である。

 闘志溢れる構えや豪快なスイングに一塁へのヘッドスライディングなど、常に全力を出し切るプレースタイルで「闘将」と呼ばれ、1964年・1965年には2年連続で首位打者を獲得。1964年は王貞治本塁打・打点の成績でぶっちぎりのトップを走り、9月初め時点で首位打者にも立っていたため「戦後初の三冠王もあるのではないか」と大いに騒がれていた。この状況に大いに燃えた江藤は「絶対に首位打者は渡さない」とばかりに闘志を剥き出しにし、ショートへ深いゴロを打てば決して速くない足で一塁へ全力疾走してヘッドスライディングで飛び込むなど、とにかく一本でも多く安打を放って打率を稼ごうとする。その執念が身を結んだのか、9月9日の巨人戦(後楽園)で高橋明から二塁打と21号本塁打を放って逆転に成功。一度は王に逆転を許したものの、9月23日に王が江藤の打率を逆転できなかったため首位打者が確定し、打率.323で自身初の打撃タイトルを執念で獲得した。
 1965年は4月に肉離れを起こして連続試合出場記録が809試合でストップするが、前年同様に本塁打・打点のトップを走っていた王に三冠王は達成させないとばかりに打率を上げ、2年連続で首位打者に輝くと共に王の三冠王を阻止した。    
 ON砲が揃って現役であった1959年から1974年の16年間、セ・リーグにおいて2年連続で打撃三冠タイトルを獲得したON以外の選手は江藤だけである。

 1967年・1968年には34・36本塁打と長打力も発揮したが、首位打者以外では王に叶わなかった。1969年シーズンオフには、同年就任した水原茂監督に対し、選手を代表して叱責のきつさに抗議したことを「反抗」と取られてその怒りに触れ、また彼が監督就任時に中京財界の要人らを従えてきたことから立場が弱かったため、球団からトレードを通告される。

 それに対して江藤は「中日の江藤で終わりたい」とトレードを拒否。1970年の構想から外れて引退に追い込まれてしまうが、同年に濃人がロッテオリオンズの監督に就任したことを機に現役復帰。形式上は川畑和人との交換トレードの形を取り、ロッテへ移籍した。

 この歳、私は10歳。どうして大の人気者、江藤慎一がドラゴンズを去るのか、水原監督との確執とだけしか、聞かされていなかった。

(つづく)

本日もついてる 感謝してます。

少数派日記21

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