少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

482  曽野綾子のいじめ浅考3

正直、僕はこの作家の作品を読んだことが一度もありません。どんな経歴だろうとネットで調べました。昭和6年生まれですから年齢は79歳です。産経のコラムには黒々とした毛髪で若々しい写真が掲載されておりますが、いったいいつ頃の写真なのでしょうかね。ただ年齢より若く見える方はたくさんおりますので、それは問題ではありません。
その中で「心に星雲」とうブログを見つけました。たいへん硬派なブログで興味深く読ませていただきました。タイトルは「曽野綾子の欺瞞をたしなめる」です。やはり産経の曽野氏のコラムに対する痛烈な批判ですが、私も同感しました。「心に星雲」もしくはYayooの人物名鑑で曽野綾子を検索すると出てきます。一読をお勧めいたします。
さて、いじめ浅考は後半に突入します。(以下引用文)
第1の方法にはいろいろなやり方がある。新聞や教育委員会に投書する。(引用文)
(安釈=つまり自分で解決の道を探さずチクれ・・・と)。
一人でご飯食べろと「村八分」に遭ったら、わざと嫌がらせに、校長室の前、校庭、玄関、廊下など人目につくところで食べる。(引用文)(安釈=つまり奇人変人になれ・・・と。さらに虐(いじ)められる要因を自らつくり、クラスどころか学校全体から変人扱いされ、教職員から問題児扱いされ、自分で自分の首でも締めておきなさい・・・と。虐めの被害者が自ら針のむしろを敷いて、その上に座り血まみれになり、同情を乞いなさい・・・と。おばさん、アンタ頭おかしくないか?こんなことが出来る子はいじめの対象にならないし、そんなことをする子は逆にカウンセリングが必要だぞ。それに村八分差別用語じゃないのか?)。
そもそも、グループで食べるなどということを考えだした先生がおかしいのだ。(引用文)
(安釈=問題をすり替えてどうする。論点はそこじゃないだろう)
学校の食事は、教室の机の上で食べるものだ。(引用文)
(安釈=おばはん、何言うてんねん、そんなこと当たり前じゃ。どこのどいつが床の上で食うか。昔も今も机の上で食うだろ。それに教室の机の上、といいつつ、玄関とか校庭とか廊下で食え、と提案したのはアンタだろ。アタマおかしくないか、これを専門用語で「矛盾」と言う。もう支離滅裂や。書いたことに責任持ってや〜。これは児童の生死に関わる事案。吉本のお笑いとは違うんやで)
その席順は背の高い順だったり、私のように視力がない生徒が前の席を与えられたりしていたが、つまり先生の命じるままだった。(引用文)
(安釈=おばはんの子供時代は何年前の話ですか?今、身体を理由に席など決めたら、それ自体が差別になり、学校側のいじめとみなされますよ。時代錯誤の例の引用はプロの書き手として恥ずかしくありませんか。また「私のように視力がない」とありますが、おばさんは全盲なのですか。「視力が弱い」ではなく「視力がない」とは普通、そう解釈します。現代では例外はありますが、全盲の児童は養護学校に行きます。また「つまり先生の命じるままだった」とありますが、何時代の話でしょうか?自殺した子は小学6年生。低学年の子供ではありません。集団生活のルールは先生ではなく、子供たちの自主性を伸ばすために子供たちが決めるのです。もう一度言いましょう、これを専門用語で時代錯誤と言います。それに「グループで食べるなどということを考えだした先生がおかしいのだ」と完全に個人攻撃かつ全否定してしていおきながら、「私たちの時代は、背の高い順、視力のない順、先生の命じるままだった」とその昔もグループ分けがあったことを暴露している。自分で書いてて、矛盾に気がつかないのか?それに「グループで食べることを考えだした先生」とあるが、それを考え出したのが先生だという根拠はひと言も書かれていない。自分の妄想の中で、そんなイメージが出来上がっているのだろう。当事者の先生にとって、それが事実でないとしたら、実に迷惑な表現ではないか)
人間が運命を素直に受ける要素も教育に含まれている。何でも自分たちで選べるわけではないことを子供の時からはっきりと教えなければならない。(引用文)
(安釈=絵に描いたような一般論をありがとう。給食のグループ分けが「運命」とは壮大なスケールの発想ですな。世界征服を目論むショッカーが、まずは幼稚園のバスを襲撃するというところからはじめるという発想を、思わず連想してしまいました。義務教育の必要性はおばはんの言う「人間が運命を素直に受け入れる要素も教育に含まれている」のでは断じてありません。それを専門用語で「北朝鮮」の洗脳教育と言います。学校は「集団生活」に対する順応性を鍛える場であり、理不尽な運命を素直に受け入れる場では決してありません。おばはんは小6少女に「虐められるのはあなたの運命だから素直に受け入れなさい」と言えるのでしょうか?できないとしたら、まったく無責任な原稿ですね。義務教育の不幸は生徒が自ら教師を選べないということです。「運命」を受け入れざるを得ないとすれば、せいぜいそこじゃないですか)
(徹底的に続けます)