少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

524  臓器移植考6

12/14より産経新聞朝刊に「命贈られて〜母からの腎移植」というドキュメント連載が始まっている。48歳の産経記者が80歳の母親から臓器提供を受けたというノンフィクションだ。
考えさせられることが多数あるので書きます。(以下連載4より抜粋)
腎臓の移植手術の翌々日、血液検査の結果で、腎機能の指標に使われるクレアチニンという物質の数値が正常値になった。
「さっそく(腎臓を提供してくれた)母に知らせよう」と思ったが、術後は感染予防のため病室を出てはいけないとされているので、ベッドでじりじりするほかなかった。(中略)そんな気持ちを抱きながらベッドでぼんやりしていると、これまでのことが次々と思い浮かんだ。
「腎臓の病気は気づきにくく、診察に来てそのまま透析に入る患者もいる」と大学病院の医師が言っていたが、体調のいいときは普通に仕事ができた。しんどいときももあり、仕事中に記者クラブのソファで横になったり、移動中に空き地で車をとめて、運転席を倒して休んだりした。(中略)
内科の医師は血液検査の結果を見て「腎臓の機能が健康な人の1割以下まで落ちている。これ以上悪くなったら、透析か移植しかない」と告げた。移植というものがあることはもちろん知っていたが、自分のこととしてその言葉を聞いたのはこのときが初めてだった。「何かの間違いではないか。他人の血液と間違えて検査したとか・・・」と思ったがそんなはずはなかった。
「目の前が真っ暗になる」という表現があるが、自分の場合、診察室の床が底なし沼になって、いすに座ったままずぶずぶと沈んでいくような感じだった。(中略)あまりに重い現実を突きつけられると、それを受け入れられず、現実から逃避する働きが人間の心にはあるらしい。医師の説明は現実の手応えがなく、耳に入ってこなくなった。
「移植について考えておられるなら、専門の医師を紹介しますが」。医師は言ってくれたが、まだそんなことは考えられなかった。
献腎移植の場合、手術まで長い年月、待たなければならないことくらいは知っていた。しかし、生体の移植の場合、近親者が腎臓を提供してくれることことが必要になる。まさか「腎臓ください」とは、だれに向かっても頼めるものではないと思った。そうすると透析か・・・。それしかない、当時はそう考えていた。(袖田陽一)
(つづく)