少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

2884 四谷大木戸門黄泉の入口説

この日のことはよく覚えています。
この現場から直線距離にして30mも離れていないところに住んでいました。

1階の弁当屋は2日に一度は世話になっていました。

ニュースで見ました。フリーランスの時でした。

あの一帯、おかしいんです。

霊感のある方なら、歩けばすぐにわかります。

磁場が異常です。

その歴史を紐解けば納得ですが、あの場所は四谷大木戸門。

甲州街道からの江戸の入り口宿場町、遊郭街。
私程度の霊感でもピンポイントで感じる磁場。

2883 吉原のオムライス

12/02-15

担当している患者さんの手術が長引いたので、病院抜け出して、最寄りの食堂へ。

昭和レトロはマイテイストですが、内容は求めず。

うちの母より若干若めのかあちゃんの作。吉原のど真ん中。

オムライスのテイストより歴史に味がある。

臓器移植のコーディネートをしているというと、犯罪者のような扱いを受けることがありますが、
安心してください!
売買はしていません!

西洋医学を唯一論とする白衣を纏った人が、他人に他人ゴトのように余命を告げる。
しかし、それを覆した人を、私はこの17年間で、少なくとも200人以上を肉眼で見ている。

これにビデオと実名の記事を加えれば有に1000人を超える。

信じられないかもしれないが、これは事実。
それは何だ?と問われ、「宗教です」と応えれば、ひどく嫌厭される。

もれなく嫌われる。何故だ?

安心してください! 勧誘はしていません!
そして、この患者さんは、私の経験上、100%の確率で助かります。

2882 耳毛と肉球

12/02-16

こだわりです。
今回の安城遷都、線香2000円強(おまけがいっぱい入ってました)。

孫六3点セット6000円強。
半額弁当に一喜する私ですが、奮発しました。
おヒマな方のみ限定です。

先に関孫六から書きます。

カミングアウトしますが私、こう見えても、耳毛フェチなんです。

電車の中等で、耳毛人間を発見すると、どうしても抜きたくなる衝動に駆られるのです。

かなりの少数派だと思いますが、同好の士はおりませんか?

昨日も京王線内において、超耳毛人間を発見。なんとか友達になって、抜かせてもらえないか、頼みたかったです。
あと、悔やまれるもは「おふくろさん」の作詞者、川内康範先生。

テレビの画面からも分かるように、ヨーダのような風貌は紛れもない耳毛。

まるでアラブ人のあごひげが両耳から生えている。

魅力的な耳毛、なんとかして抜かせていただきたい。

どうせ火葬にされるなら、死後でもかまわない、せめて1、2本でいいからと頼めば良かった。

というわけで、自分の耳毛は毎日のように抜くので、至福の時間は長く続きません。

合わせて耳掃除は日に数回、ゴシゴシしているので、たまに出血してえらい目にあいます。

耳掃除スコープも持ってます。

耳毛オヤジ、耳くそオヤジと呼ばれないように、趣味を兼ねて耳の手入れは癒しの時間。

したがってメンテナンスの道具はえらい数になりました。今度、アップします。

次、線香。私、香りフェチです。こちらは多数派でしょう。

香木は本当に高い。国宝は正倉院にあるくらいですからね。
私の場合、主にアロマオイルと線香です。
「薄墨の桜」は初めてですが、香木入りの線香は1万円くらいします。この作品は実際に桜の樹皮が配合されています。
この作品は、岐阜県梶尾村に実在する薄墨の桜がモチーフです。

樹齢1200年超、継体天皇お手植えと伝えられた桜は昭和48年、その樹齢を終えようとしておりました。

しかし、人々の尽力により再び花を咲かせた奇跡の桜でもあります。

2000円以上の線香にはみなストーリーがあるのです。

ちなみにですが、私は、犬の肉球の匂いを嗅ぐのが趣味です。

肉球の硬さで年齢、肉球の隙間の匂いでその子の散歩コースがほとんどわかります。

2881 人間・中畑清

12/02-16

中畑清on徹子の部屋

ドラゴンズ応援団時代は、さんざ野次らせていただきました中畑清
中畑さんへの最初の接触は忘れもしない、江川引退の時の電話インタビュー。

こちらは一面識もない新米記者時代、しかも読売のライバル、中日新聞
「はいもしもし、エッ、トーチュー(東京中日スポーツ)?。ちょっと待って、今、サンスポからかかってるから」キャッチホンでしばし待つ「はいもしもし、ごめんごめん、待たせちゃって。じゃ、今からサンスポに話したことと全く同じことを話します。メモ用意した?」
いや〜なんとも爽やかな対応。

その後、現役中の中畑清を取材することはなく、引退後、阪神淡路大震災後の神戸ボランティア。

中畑清も主催の一員で、多くのプロスポーツ選手とボランティアが集まり、5000人の被災児童を集め、選手とキャッチボールやフットサルで楽しむ企画を実行しました。
私も、打ち合わせ段階で何度か中畑さんと顔を合わせて、意見等を聞かせていただきましたが、この人、本当に裏表のない好漢であると確信いたしました。本当にいい人なんです。

徹子の部屋では横浜監督時代の4年前に癌で亡くなられた仁美夫人の話になり、人前はばからず号泣されていましたが、本当に人間らしくて、私は好きです。

こういうストレートな人が少なくなりました。

自分を素直に正直に出せる人、仁義忠義に生きる人、裏と表がない人、馬鹿な人。

2880 ジモ友、憂国の市役所職員

地元にはいろんなヤツがおる5。

前回の安城遷都の際、ぶらり、あんまき市役所を訪ねた。
特に用事はない。

職員諸君らが真面目に働いているか、抜き打ち検査である。
結果、実に真面目。

無駄口一つなく、引き出しを開けたり閉めたりして、終業時間の午後5時ピタリで業務はすべて完了、残業はせずに全員帰宅の優良業務。

「ところでお前、こんなところで何やっとるだぁ?」
あんまき高校の同級生のTくんと思わしき人物に声をかけられた。
高校時代のリーゼント、ダボパン、ペチャンコカバンの面影は遠く、エリート公務員を貫いてる様子で、何よりだ。
「いや、みなさんがちゃんと仕事をしているかどうか、抜き打ちで視察に来た」
「お前、相変わらず変なヤツだな。とりあえず、ここじゃマズいから、コーシーでも飲みいこまい」
茶店に誘われた。

「ところで、仕事はどうだい?なんか問題はないかい?」
「問題はないかいって言われりゃ、そりゃ問題だらけだw」
「ほ〜。例えば?」
「例えば・・・」
と言いかけて、Tさんはハッとした様子。
「いかんいかん、お前に話すと全部記事にされちゃう。あぶねえあぶねえ、ヤバいとこだった。つい言いそうになっちまったw。俺もう何もしゃべらんぞ!」
「何もしゃべらんぞってあんた、まだ何もしゃべっとらんじゃん!」
「いや、いっつもお前にしゃべると必ず書かれるから、絶対にしゃべらん」

クソ、よっぽどヤバい情報握ってやがる。

まあいい、今は地方財政より、五輪利権と豊洲利権に集中だ。

Tさん、地域のなんとかという部署で、市民の土日の行事には顔を出さなくてはならない。

それも巡回して。

だからといって平日に振り替え休日はない。

市道に雑草が生え、市民から「刈れ」と苦言が来れば、休日に作業着でカマ持って行くこともある。

スゲ〜な〜。

高校時代は授業が終わった瞬間に消えてた人物故、その本性を知る術なし。
本人は覚えているかどうか、高3の時、突然、「安藤、これ読んでくれ」と手渡された文庫本こそが三島由紀夫の「剣」(つるぎ)。

その頃、Tさんはアンダーグラウンドで「憂国の士」と呼ばれていた。

Tの家に潜入した者は側近のブラジル人、薫太欽定ボボのみ。謎の人物2人の潜伏活動。

いずれにせよ、Tに手渡された「剣」が私の三島デビュー。
主人公は原辰徳のような爽やか若大将。

剣道の話なので森田健作の方がわかりやすいだろうか? 自分にも他人にも厳格で、剣道を愛する剣道部主将、品行方正、正道を生き、曲がった事は一切しない。
剣道部の夏合宿。下級生の指導にも余念がない。下級生からも慕われた存在。

しかし、数人の下級生が合宿中の規則を破った。それも些細な問題だった。
それを苦にした主将は翌朝、合宿の林で、自ら生命を絶った。

あいつ、こんなことを考えながら学校に来ているのか?
三島の思想とTの感情が、私の中で交錯した。すなわち革命。

私はこの男が、将来、革命家になるのではと予想した。

まさか役人になるとはね。

「早く寝ると夜中に目が覚めて、そのまま眠れんくなる」なんて、もうおじいさんの領域じゃねえか。「だから頑張って12時まで起きるようにしとる」だってさ。
みんな頑張ってるなぁ〜

写真は、あんまき市を流れる猿渡川。

この上流に私の小学校と、住み慣れた田舎町がある。

台風が来ると、必ず川の様子を見に行った老人が流される。

南無〜。

2879 ジモ友、尋ね人ラッパズボン

11/30-15

地元にはいろんなヤツがおる(おった)4。

この男は本名を晒して公開捜索に踏み切る、佐々木弘敏くん、何処におる?

佐々木弘敏・・・本名・佐々木弘敏。1959年生まれ、伝説のナルシスト。

あんまき高校で唯一、ラッパズボンを履いていた男。

常にトイレの鏡で髪型をチェック。優等生。

安藤のツレは9割が不良か成績不振者か挙動不審者か変質者か異常性欲者くらい。

しかし、佐々木くんは1割に入る成績優秀者及び体制派(教師側人間)。

私は基本、電車通学だが、定期代を使い込んだ期間はあえなくチャリ通学。

その折、佐々木くんが住む知立団地を通過するので、ついでに抜き打ちで家庭訪問することがある。佐々木くんは私に勉強を教えてくれるだけでなく「腹減ってない?」とか言って、いつもインスタントラーメンを作ってくれたり、時には野菜炒めなんかも振る舞ってくれる。

両親共稼ぎみたいで親に会ったことはない。

たいがい自炊してるから料理は手慣れていた。

理屈ぽい野郎で、不良どもからは煙たがれていたが、意外といいヤツであった。

その佐々木弘敏、高校卒業後、忽然として姿を消した。いろんな噂が飛び交った。

北海道でセールスマンをしているという目撃情報があるそうだが、誰が何処で目撃して何のセールスをしているのかというウラは一切取れていない。

佐々木弘敏が行方をくらませて、来年で40周年記念。

クラス会幹事としては、行方不明の仲間の所在を探すのも任務の一環。

FBFで呼びかけることにしました。
もし、街で、ラッパズボンを履いてる初老の男性を見かけましたら一報お願いいたします。

佐々木の可能性があります。

写真は、39年前、佐々木くんと食料を仕入れに行った知立団地内のスーパー。

現在、知立団地の住人は、その8割がブラジル人。ポルトガル語公用語です。

カルメンが本名ではなく、あだ名とは知りませんでした。

創業70年ってことは戦後ヤミ市が出発点ぽいですね。
みんな頑張ってるなぁ〜!

2878 ジモ友、永田や仏壇店にじさま。

11/29-16

おはようございます。
地元にはいろんなヤツがおる3。

昨日のこと、車で道に迷った。

当時の交通手段は徒歩とチャリとトヨジのバイクくらい。

通学路とツレの家に行く道しかわからない。

そこで永田やに出くわした。

当時、愛知県の男子学生の朝の挨拶は「オッス」とか「うぃ〜す」ではない。
「欲しいの〜」
「決まった〜」
と互いに言ったあと、「永田やだ〜永田やだ〜永田やだ〜」と読経する。

他県の人には何のことだかわかるまい。
ドラゴンズの黄金バッテリー星野仙一x木俣達彦泣く子も黙る

永田やの社長と木俣さんが旧知だそうで、永田やのCMに黄金バッテリーの起用が決定した。
内容は永遠にくだんの「永田やだ〜」という読経がBGMとして流れ、

いきなり星野さんが「欲しいの〜」と言うと、阿吽の呼吸で、木俣さんが「決まった〜」というだけの声の出演。

地球一シンプルなCMとして世界中の注目を浴びた(はずだ)。

そこで少年ドラゴンズの挨拶は、冒頭の「星野〜」「木俣〜」となったのです。

で、ようやく私は、当時から念願だった憧れの永田やに初来店。

うわ!来て良かった、こんな田舎に仏壇の海。

仏壇、仏壇、また仏壇。線香の香りにも癒される。

整然と並べられた終の住処に一分の隙もない、嗚呼癒される。

死後の感傷に浸っていると、支配人らしき男性に声をかけられた。

スーツを着こなし、凛とした背筋で立っていた。
「お客様、もしかしてドラゴンズ様?」
「確かに、一時期、ドラゴンズと呼ばれたことはあるが、様をつけられるほど、たいそうな者ではない。ただの流れ者です」
「本日はわざわざ東京から?」
「むむ、いかにしてそれを?」
支配人、なにやら私のことを知っていると見える。

当方も何気に見覚えあるような気もする。誰だ?

「本日はお仏壇のお買い求めに?」
「う、いやまあ、そう、下見ね。自分が入るやつ」
「そうでしたか、それはありがとうございます。お客様でしたら立派な体格されているので、こちらの大きめなものがよろしいかと」
「うむ、苦しゅうないよ。ん、450万円?ちょっと苦しいかな。マルひとつ少なめでね」

そ、それにしても荘厳。いったいどんだけあるの〜の世界。

仏壇なんて、どれも同じと思っていたが、そら大きな認識不足。

仏像コレクターとしても赤面の極み。とにかくすごい、1000万、2000万クラスがゴロゴロ。

「ところで、チミ、あいにく今日は持ち合わせが少ないけど、将来、億万長者になる可能性もゼロではないので、一番の高額仏壇を見せてはくれんかね」
「ようがす。では、こちらへ」
支配人は颯爽と私の前を行く。

「こちらでございます」
「イチ、ジュウ、ヒャクセンマン。ニッキュ〜パ〜と言っても2980円じゃないよね」
「2980万円にございます。よろしければお手に取って」
「いや、重そうだから遠慮しとくけど、これ星〜野」
「木俣なら、お取り置きしましょうか?」
FBFの皆さんも、見たらきっと住みたくなりますよ、2980万円。(撮影禁止でしたが、支配人にお願いしてワンショット)
ちなみにここら辺りで3000万円も出せば、30坪くらいだけど、新築一軒家が手に入ります。

私は来店記念に線香2箱を購入。永田やをあとにした。

「支配人はこの仕事、長いのかね?」
「かれこれ20年」
「その前は?」
「いろいろあったけど、話すに至らん」
「そうかね・・・」

わざわざ車まで見送ってくれた。
誰だったのだろう、支配人。

そういえば、あんまき高校時代、学生家庭教師として、私の理数系の家庭教師をしてくれた男に似ていた。

彼は同級生で「じさま」(三河弁=おじいさま)と呼ばれていた老人(老師)。理数系人間で、数少ない国立大学受験組。私は何度かじさまの家を訪れ、泊まり込み合宿で勉強を教えてもらい、鳥鍋を馳走になった。

もし支店長が彼だったとしたら、あの頃より、とても若く見える。

あんまき市のベンジャミン・バトンとは、もしかしたら彼のことかもしれない。

「ところで3000万の仏壇、買う人いるの?」
「そんなしょっちゅうは売れぇへんけど、たまにおるよ」
たまにおるんかい!
みんな頑張ってるな〜!