少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

258  テトラパック牛乳

先に書いたように僕は白牛乳が嫌いです。まあ嫌いとまでいかないにしても苦手です。理由は愛知県の小中学校時代にクソ不味い脱脂粉乳を強制的に飲まされたからです。
小学校時代はアルミ製の持ち手のないお椀に注がれた生ぬるい脱脂粉乳をみんな鼻をつまみながら流し込むわけですが、中には泣きながら飲まされてる子もいました。僕も本当は泣きたかったけど・・・。
これが戦時中なら「俺よりあいつの方が量が多いぞ、どういうこっちゃねん」なんて給食当番と脱脂粉乳の分配量を巡って、取っ組み合いになるのですが、僕らの時は嫌いなヤツには脱脂粉乳を多めに入れてやる、といったプチいじめのアイテムとして使用されていました。
中学生になると、そんなことが殺し合いの喧嘩に発展する危険性もあるという判断からでしょうか、市教育委員会はアルミ製のカップではなく、誰にも公平な分量となる200CCの瓶入り脱脂粉乳を生徒に分配する配慮をほどこしました。これにより、給食当番の脱脂粉乳の分量によるプチいじめは是正されましたが、今度は衛生面で別の問題が発覚することになったのです。
アルミ器から瓶になったとはいえ、しょせん脱脂粉乳脱脂粉乳。飲み口の面積が小さくなった分だけ、あの独特のナマ臭い匂いが教室全体に広がることはなくなりましたが、不味さは変わりません。特に蒸し暑い夏期、自然の気温で人肌程度に温(ぬく)められた「ぬる燗状態」の脱脂粉乳は、そらもう最高のイジメというか安城北中1200名生徒全員に与えられた罰ゲームというか試練というか拷問というか、みな、この恐怖の時間を心で泣きながら過ごしたのです。
僕はこのころ、絶対に学校の先生だけには成りたくない、と強く思いました。なぜなら、大人になってまで脱脂粉乳を生徒とともに給食時間に飲みたくはなかったからです。本当に先生という職業が「哀れ」にさえ思えた時期でした。
さて、衛生面の問題ですが、やはり中にはどうしても脱脂粉乳を飲めない子がいます。で、その子はどうするか?一時はわざと牛乳瓶をひっくり返してこぼす、という手口が流行りました。しかし、雑巾で拭くときにもわ〜っとした匂いが立ち込めますし、1学期にひとり1回くらいしか通用しない手口で乱用はできません。そこで、登場したのが先生の隙をみて牛乳瓶そのものを机の中にサッと隠す、という技です。
これはかなり有効的でした。ただ、女子はびびってこの手口は使いません。いわば万引きのようなものですからね。それでも体調不良などで、どうしても飲みたくない子などは、この手口を利用していたみたいです。
本来なら放課後に、机に隠した脱脂粉乳はこっそりとトイレなどに流して証拠を隠滅するのですが、時々、それを忘れるバカがいます。するとどうなるか、教室中に、何やらすっぱい香りが漂うのです。今から思えばあれはヨーグルトの匂いだったのですが、終戦後の当時、ヨーグルトなんてあるにはあったけど、それこそ誕生日とかクリスマスくらいにしかお目にかかれない代物だったので、まだまだ慣れずに、その匂いで吐き気を催す女子もいたくらいです。つまり机の中に隠し忘れた脱脂粉乳が適温で醸造され、ヨーグルトと化し、猛烈な匂いを醸し出したというわけです。
それにしてもヒドイ匂いでした。ある日、激怒した担任が抜き打ちで荷物検査したところ、Yの机の中からミイラ化した脱脂粉乳が5体も出てきたのです。Yは事態の深刻さも解らず「えへへへ」と頭をかきながらテレ笑いしたのですが、大量の不法投棄を安北中の教師がゲンコツひとつで見逃すはずがありません。当然、両親が呼び出され、退学勧告は免れたものの厳重注意を受け、それ以来Tは人格が変わり、冗談のひとつも言わなくなりました。
担任は担任で市教育委員会からの罷免勧告は免れたものの、学年指導委員会から管理者責任を問われ降格、しばらくの間、無能管理者としてうしろ指を指されながら教員生活を送りました。結局、そんなT先生は中学から追い出されたのでしょうか、今年春、小学校の一教員として、静かに退官されたと聞きました。
僕ら生徒は、瓶ごとミイラ化された脱脂粉乳や、ヨーグルト化された脱脂粉乳、腐敗が進行して男女の区別もつかないような瓶入りの脱脂粉乳を目の当たりにして、まず思ったことは、今後あの瓶はどうなるのだろうかと言うことでした。「さすがにあそこまでいったら処分だろう」という希望派と「いや、強引に洗浄してまた使い回すのさ」という現実派に別れ物議をかもしました。
その後、あの瓶はどうなったのか、中学生だった僕らに追跡調査する能力はなく、あくる日から、今自分の目前にある牛乳瓶が、あの腐敗脱脂粉乳の瓶ではなかろうかという1200分の5のロシアンルーレットに戦々恐々とする日々を強制されたのです。
今、こうして昔話として書けば笑い話ですが、当時は瓶に付着した菌が体内に入ると、体内の内蔵がヨーグルトのように腐り出し、やがて身体が溶けて死に至るという都市伝説まで流れ「いや〜」と泣きだす女子まで出たくらいです。
その事件以来、担任は給食後、脱脂粉乳の空瓶を「空き瓶が1本〜空き瓶が2本〜」と不正が出来ないよう人数分あるかどうか数えはじめました。あの類を見ない不味さと、死の恐怖と戦いながら、僕らはノイローゼになりながら、毎日必ず訪れる拷問に耐えたのです。
そんなある日、ついに努力が認められたのか、天の神様から贈りものが我々の元に届きました。テトラパック入りの牛乳です。
(続く)