1161 さいごの東京タワー4
中国・広州は1400万人都市。人口だけでも東京よりデカい。
前回の病院と今回の病院は車で2時間ほど離れた場所にある。Yさんは病院で、僕は病院の敷地内にあるホテルで待機に入った。日本食などない。毎日、二人で外食したが、腎臓病のYさんが、食せるものには限りがある。たとえば蛋白制限は50g/日。つまりゆで玉子ひとつ食べたら、その日の蛋白摂取はもう終了だ。生野菜、果物もNG。水分補給は500ml/日、小さい方のペットボトル1本で、真夏でも24時間凌がなければならない。
「あんたはオレに気いつかわんと、好きなもん喰うてやあ〜」とYさんは優しく接してくださるのだが、さすがにそういうわけにもいくまい。完全とまではいかないが、頑張れる範囲でお付き合いさせていただいた。
二日に一度、人工透析に向かうYさんを透析室まで見送った。
「ほなら、修行に行ってきまっさ〜」とYさんは重い足をひきずり消えた。当日は身体もだるく、食事も摂らずに病室に直行することが多かった。
病院とホテルの行き来。冷房→猛暑→冷房→猛暑の繰り返しで、僕は自律神経をやられ、今流行りの「熱中症」になりぶっ倒れ、三日ほど入院した。
そんな日が一か月も続いたある日、「たまには中心地に出て日本食でも食べましょうか」と僕が誘い「せやなあ、それええなあ」とYさんが同調した。特に美味しかったわけではないが、久しぶりにアブラの少ない料理を食べ、ジャスコに日本食の買い出しに出かけた。
カップヌードルにさんまの蒲焼き缶詰、魚肉ソーセージにかっぱえびせん。手が千切れるかと思うくらい買い込んだ。外に出て、タクシーを拾おうと二人歩道で佇んでいた時、僕の携帯が鳴った。前の病院のR医師からだった。
「安藤、喜べ、ドナーが見つかったぞ」
実は、当時、もうひとりの患者さんが、前の病院で待機しており、僕はてっきり、その患者さんのドナーが見つかったとばかり思っていたのだ。
「違う、そうじゃない、Yさんのドナーだ。やっと見つかったぞ。それも奇跡に近い。もの凄いマッチングだ。HLAがぴったり。まるで一卵性双生児なみのマッチングなんだ。おそらく10万人にひとりの確率。僕の医師人生の中でも、間違いなく一番のマッチングだ。数字的には99・9%。この機会を逃したら、次はないぞ。彼は今どこにいる?日本か?とにかく今すぐ連絡して来れれようにしてくれ。もちろん今夜中だ。来れるか?」
R医師の興奮ぶりが伝わってくる。今夜中もなにも、実はYさんは、いま僕の横に居て、カップヌードルの詰まった袋を所在なさげにぶら下げて、ボーと突っ立っている。
時刻はすでに遅い午後、つまりは夕方に差し掛かっている。成田から広州の最終便は午後6時30分。成田近辺に居ればともかく、関西在住のYさんが搭乗することは物理的に不可能だが、「なんとかやってみます」とR医師に告げる。別の病院で待機していますとは言えないからだ。
電話を切りYさんに会話の内容を伝えた。
「ホンマでっか?ほなら、いまの病院どないしまひょか」
「問題はそこなんですよね」
実は、そこの病院も非常に良くしてくれている。医師も看護師も親切で「一生懸命探していますから、もう少し頑張ってくださいね」と優しく声をかけてくれるのだ。
とりあえず、ここからは時間との闘いだ。タクシーを拾い、病院へ帰る車中で作戦会議。Yさんも任侠気質の人、仁義を欠きたくない。
「お世話になった病院に嘘つくんは、こころ苦しいけどやな、このさいはしゃーないで、堪忍してもらおか〜」
ということで、病院の、特にYさんの入院に当たって尽力してくださった英語の話せる女医さんには「実は身内が急死されて、すぐに帰国しなければならなくなりまして、本当にすみませんが・・・」と嘘をつき、荷物をまとめ、清算を済まして、タクシーに乗り込んだ。
「わかりました、それはお悔み申し上げます。落ち着いたら、また来ても大丈夫なように手配しておきますから、ご安心ください」と彼女の言葉に僕とYさんは大きなうしろめたさを抱えながら、タクシーを前の病院へと走らせた。(つづく)