少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1189 きいちゃん3

(前号からの続き)
お色直しをして扉から出てきたおねえさんは、きいちゃんが縫ったあの浴衣を着ていたのです。
(安藤注=これは当初、予定のなかったことでしたが、おねえさんが、どうしても、このゆかたを、結婚式の当日に大勢の人の前で着たい、と申し出たそうです)
浴衣はおねえさんにとてもよく似合っていました。
きいちゃんも私もうれしくて、おねえさんばかりをみつめていました。
おねえさんはお相手の方とマイクの前に立たれて、私たちを前に呼んでくださいました。
そしてこんなふうに話し出されました。
「みなさんこのゆかたを見てください。このゆかたは私の妹が縫ってくれたのです。妹は小さいときに高い熱が出て、手足が不自由になりました。そのために家から離れて生活しなくてはなりませんでした。家で父や母と暮らしている私のことを恨んでいるのではないかと思ったこともありました。それなのに、こんなりっぱなゆかたを縫ってくれたのです。私はこの浴衣が届いたときに涙が止まりませんでした。妹はどんな思いをして、どんなに一生懸命この浴衣を縫ってくれただろうと思いました。私は妹を新しい家族に知ってもらいたいと思いました。
妹は私のほこりです」
 そのとき、式場のどこからともなく拍手が起こり、式場中が、大きな拍手でいっぱいになりました。
そのときのはずかしそうだけれど、誇らしげでうれしそうなきいちゃんの顔を私はいまもはっきりと覚えています。
私はそのとき、とても感激しました。
おねえさんはなんてすばらしい人なのでしょう。
そして、おねえさんの気持ちを動かした、きいちゃんのがんばりはなんて素敵なのでしょう。
 きいちゃんはきいちゃんとして生まれて、きいちゃんとして生きてきました。そしてこれからもきいちゃんとして生きていくのです。
もし、名前を隠したり、かくれたりして生きていったら、それからのきいちゃんの生活はどんなにさびしいものになったでしょうか?
 お母さんは、結婚式のあと、私にありがとうと言ってくださいました。
でも私はなんにもしていませんと言うと、お母さんは、
「あの子が、お母さん、生んでくれてありがとう。私幸せです」
と話してくれたと泣きながらおっしゃいました。
お母さんは、きいちゃんが、障がいを持ったときから、きいちゃんの障がいは自分のせいだと思ってずっとご自分を責め続けてこられたのだそうです。もし、もう一時間でも早く大きな病院に連れて行っていたら、あの子に障がいが残ることはなかったのじゃないか、あの子の障がいは自分のせいだと思ってずっと自分を責めていたと話しておられました。
 きいちゃんは結婚式の後、とても明るい女の子になりました。
これが本当のきいちゃんの姿だったのだろうと思います。
あの後、きいちゃんは、和裁を習いたいといいました。
そしてそれを一生のお仕事に選んだのです。
きいちゃんだけでなく、こどもたちはいつも、みんな素敵で大切な存在なんだと言うことを教えてくれるなあと思います。
ーーーーーーーーーー以上です。

(編集しているだけで、またティッシュが必要になりました・・・安藤)

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「きいちゃん 」山元加津子
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