少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1661 校門の想い出

「校門にて待て・・・」


それは、安城北部小学校3年生の時だった。
井畑団地から集団登校で、小学1年生から6年までが田舎の川沿いの土手道を、ヘビやカエルを時々踏みながら歩く。6年生にオカドというチビくろサンボみたいな上級生がいました。
ある日、そのチビくろサンボが、掟破りの黄金糖(飴)をしゃぶりながら集団登校にやってきたのです。ピチャピチャと美味しそうな音をたてて、見せびらかしてしゃぶるので、僕とマコちゃんは「ちょうだい、ちょうだい」とチビくろにねだりました。するとチビサンボはひとこと「校門にて待て・・・」と。


その帰り道、僕とマコちゃんは6年生の下校時間が来るまで、ずっと校門で待ちました。どうしても黄金糖をしゃぶりたかったのです。
しかし、暗くなって、もう生徒が誰もいなくなってもクロサンボは来ませんでした。どうやら裏門から下校したようです。
翌朝、僕とマコちゃんはチビくろに言いました。「校門でずっと待ってたよ」。チビくろは僕とマコちゃんに言いました。
「バ〜カ、校門じゃねえよ肛門だよ」
僕とマコちゃんは、何を言われているのか、最初はわかりませんでした。
しかし、チビくろが尻の穴を指して「ここ、ここ」と言ったので、僕らはチビくろに騙された・・・と気づき、チビくろを土手からつき落としてあげました。
僕とマコちゃんは優しい人たちなので、チビくろを、川側ではなく、田んぼ側に落としてやったのに、チビくろは6年生のくせに泣きました。子供が子供を騙すようなことをしてはいけませんよね。


それから、45年ほどの歳月が流れて、あの時の小学3年生は、今トイレでひとり、あの日の黄金糖と、大きさといい、カタチといいクリソツなロケット型の物体を、人知れず、肛門に押し込む作業に苦悩しています。


治療の痛みをこらえるための鎮痛剤とはいえ、野武士として他人様には見せられない光景。痛みに耐えるか、羞恥をさらすか・・・後悔なしの二者選択、人生の機微、やり場のない永久(とこしえ)の寂寞(せきばく)。


せめてあの時・・・。そう、あれはたしか、あんまき高校3年生の時、家出した東京・上野駅近くの不忍池付近・・・。
泊まる場所もなく、うろついた公園での野宿。横たわる僕に、ふと人の温もりを背中から感じた。
「ボク・・・、寒いから、おじさんと一緒に寝ようよ、ねっ、いいだろ!」
みず知らずの、優しそうなおじさんが背中から抱きついてきました。
一緒にくるまるだけならいいか・・・と思っていましたが、次第に、おじさんの手が妖しいところに伸びてきたので、食糧の缶詰を開けるために持っていた、ボーイスカウトのキャンプ用の五徳ナイフをポケットから取り出して、ちらつかせました。
すると、おじさんは「ボク・・・そんな危ないもの出しちゃダメだよ・・・」と言って、どこかへ逃げてしまいました。


外は物騒なので、深夜営業の映画館に入ることにしました。
当時、入場料600円は高額で、迷いましたが、また変なおじさんが来るといけない・・・と思い、「大人一枚・・・」と思い切り低い声でチケットを買い、入場しました。
映画のタイトルは「真昼の情事 団地妻・陽子の季節」「痴漢電車 出発進行」「セーラー服 縛ってください女子高教師」の豪華3本立てでした。
知らずに入ってしまい、ずいぶんエッチな映画だなあ・・と思っていたら「日活ロマンポルノ」と書いてあり、びっくりしました。


それはそうと、席につくと、また知らないおじさんたちが、僕の周りにやってきて、手を握られたりしました。三河地方では、あまりない風習でしたので、やや戸惑いました。


その後、新聞記者になり新宿二丁目あたりに、飲みに通うようになり、そういう男性たちがアナル(anal)もしくはアヌス(anus)の貸し借りに情熱を燃やしていることを知りました。
私ごとですが、昨年の9月、NYで大腸の内視鏡検査を行いましたが、途中で麻酔が切れ、医師にアヌスをいじられてる様子がわかり、自分には、絶対に貸し借りは不可能だと悟りました。
それなのに、悲しいかな、現在は、自分で黄金糖を入れなければならないわけですよ。
もし、あの上野の夜、優しいおじさんにアヌスを貸していたとしたら、今ごろ、こんなに寂寞の想いを募らせなくてもよかったのかなあ・・・と、治療の時間が来るたびに思うのですが、みなさんはどんな感じでしょうか?
糞や気泡を出す時は、あんなに気持ちいいのに、異物を入れる時は、どうしてこんなに違和感があるのでしょうかね?これも新しい発見ですので、この試練に感謝したいと思います。アーメン。