1767 浄土からの声が聞こえる18
あの大震災から半年が過ぎた2011年9月11日。ちょうど10年前のこの日、2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センター、通称ツインタワーに国際テロ組織アルカーイダのメンバーらによって乗っ取られた民間旅客機が突っ込み、世界を震撼させた。
世間はそれをセプテンバー・イレブンと呼ぶ。
あまり知られていないことですが、アルカーイダが、オーガスト・イレブンと呼ばれていることをご存じでしょうか?というのも、アフガニスタンで世界最凶悪なテロ組織は、イスラム主義スンナ派の宗教団体であり、その過激なテロ行為は人智の理解を逸脱していますが、それがどうしてかというと、彼らが熱烈なイスラム教の信者であり、資本主義、すなわちキリスト教、ユダヤ教に対する聖戦(ジハード=jihad=アラビア語)であり、自爆テロはすなわち殉職者扱いとして神のもとへ行けるという強い正義の信念があったからです。
かの魔将軍・織田信長が、全戦全勝の織田騎兵隊が、一番恐れた武将をご存じでしょうか? 甲斐の武田信玄? 越後の上杉謙信? 近江の浅井長政? それとも謀反した明智光秀か・・・。
史実によると、信長が自ら出陣して、最も苦戦し、死さえ覚悟したのが、1570年(元亀1年)にはじまった現在の三重県長島町における伊勢長嶋の一向一揆だったのです。
槍も鉄砲もなんの武器も持たない百姓たちが、竹槍と鍬だけで次から次へと織田軍に襲い掛かる。その姿は殺しても殺しても、まるでゾンビのように生き返り、また襲い掛かってくる。織田軍の兵士の中には恐怖におののき、武器を捨てて逃げ出す者も続出した・・・という。
なぜか? 百姓たちは「南妙法蓮華経 南妙法蓮華経 南妙法蓮華経」と口ぐちに叫び、ひとり必殺の道連れ戦法(つまり自爆テロ)でくるのです。史実によると、百姓たちはみな笑顔、笑いながら襲ってくるのだというのです。
その理由はアルカーイダの兵士と全く同じ理屈。「聖戦で死ねば、極楽浄土に行ける」というものでした。
信長は、その聖戦の元となる天台宋の総本山・比叡山延暦寺を翌1571年(元亀2年)に焼き討ちするのですが、その更なる怒りが、織田軍に向けられるはめになったのです。長嶋の一揆は静まるどころか、さらに拡大化して、結局、
鎮圧されるのに四年の歳月がかかりました。
さて、話は再びアルカーイダに戻ります。首謀者であるウサーマ・ヴィン・ラーディンもそうですが、その幹部のほとんどは神学者という、宗教の専門知識階級でかためられています。そのため、テロ活動には、綿密な宗教的要素が加味されており、彼らの論理では「無差別攻撃」ではなく「それなりの理由があっての行為」だそうです。したがってセプテンバー・イレブンは、偶然に選ばれたのではなく、必ず2001年09月11日でなければならない理由があったとされまています。
で、アルカイーダが「オーガスト・イレブン」と呼ばれている理由ですが、実はアルカイーダが組織として、正式に発足されたのが1988年08月11日だったのです。
そして再び、2011年9月11日 浄土ヶ浜
佳子からすべてを奪った、あの地震と津波。
思い出だらけの実家も、成長を見守ってくれた学校も、かくれんぼうをした空地も、優しい友も、幼き時代のアルバムも、錆びついてしまった自転車も・・・そして、大切な大切な母や父、祖母の命さえも・・・・
佳子は、災害発生から、半年後の9月11日。我が家の跡地を訪れ、白い菊の花と線香を手向けた。遺体はまだ見つからない・・・。でも、もう忘れよう。そう決心をするために来た。
だけど、震災前と、まったく変わらない波の音、海鳥たちの泣き声、やわらかな海風が、白々しく、佳子の髪に触れると、やはり決心がぐらつく。忘れたい。だけど、忘れられるわけなどない。佳子の瞳の中には、流す涙など、もう一滴すら残っていなかった。
(まだつづきます。壮絶なクライマックスに乞うご期待)