2181 Mid Night Hospital2
すべての物体は振動して、それぞれの対象物と共鳴しています。
例えば「音」。音は空気の振動が鼓膜に伝わり、鼓膜が共鳴して「音」として判断されます。ところが、イルカの超音波のように、音波を発生しているのに、人間の耳には「音」として判断されない「振動」があります。
これらをひっくるめて「波動」と呼びます。
「霊」が見える見えない、感じる感じないは、この波動を受けるチャンネルを持っているか、いなかだけのことであって、波動そのものは日常の空間の中に存在しています。
さてさて、このMid Night Hospitalですが、人間の病苦という波動が絶え間なく飛び交っています。死へ向かう者たちの声なき波動は、言葉では表現できない念の集合体のようです。かなり厳しものがあります。
看護婦さんたちに不満はありません。深夜50人の患者に3人でよく対応されていると思います。だから尿瓶の取り換えを頼むのが心苦しくなるのです。
同室のおじいさんたちの深夜のナースコールも半端ではありません。
「おしっこ」「みず」「背中かゆい」・・・夜の夜中に、部屋中の電気をつけて探しものをするじいさん。携帯電話で家族と話をするじいさん。徘徊じいさんは、死期が近づいたのか、徘徊の数が少し減った。入院の途中で、無断で犬にエサやりに帰ったり、今度こそ、痰が喉にからまって昇天されたかと思うほど強烈にゲホるおじいさんとか・・・。
いま、見ず知らずのベビーシッターに子供を預け、殺人事件に発展するほど、待機児童の問題が深刻化しています。それと同様に、老人の施設問題も、さらに過酷化を増しています。
ここの病院の大人用のおむつ代がいくらかは知らないが、民間の医療法人の施設の格差調査によれば、最安値の施設で一枚20円。逆に最高値の施設では600円台のところもあるという。おむつ一枚600円では、糞尿するだけで罪の意識に苛まれる人も出てくるだろう。
昨年秋、北海道の老人福祉施設を訪ね、一週間を過ごしたが、しゃべることのない、ただ笑うだけの老人たちが、三度の食事と、二度のおやつを食べさせてもらい、睡眠と排泄の世話をしてもらう。
ただ、それだけの施設に入るにも、最低2年は待たなければならない。生きて出られる人は、ほとんどいない。
待つ間に孤独死。都内では、日に7〜8人の老人が亡くなり、遺体の引き取り手すら現れないのが現状だそうだ。
「生受けて 看取り看取られ また独り」(平成芭蕉)
「のど仏 覚悟決めれず 生き仏」(平成芭蕉)
「死化粧 誰が祀るや 鬼箱の」(平成芭蕉)
「少子化」と「高齢化」。これだけ現実問題がクビのあたりまで迫っているのに、政府の対応はあくまでも他人事。
「廃校利用」「幼児と老人の一体化」「セラピードッグ、癒し猫」「介護ヘルパーの身分化」など、民間が打開策をこれでもかと、提案しているのに、既得権官僚と、無能行政が、その道を阻む。
どうして、この国の行政は「滅ぶ道」を好むのだろうか? 考えるほどに辛くなる。