6399 祖先の眼
7/25/21
FBFの皆さま、おはようございます。(ワタクシごとを書きますので、オチはございません。ご興味のない方はスルーしてください。ほとんど健忘録的投稿です)
明日、退院が決まりましたので、ここから見る西新宿〜池袋にかけての風景は明日で見納めとなります。
人間の肉体や精神構造は親のDNAの複製ですから、顔つき、性格、声帯、思考、など、さまざまなパーツをミックスされて受け継ぐわけですよね。
私は個人的には輪廻転生は間違いなく存在すると思います。フィジカル的に言ってもDNAの継承は祖先の輪廻転生であることは間違いないでしょう。ただし、一般的にいうそれは魂の部分を言います。でも、確認できる近い輪廻は例えば親とか祖父母であると思います。
ご存知のように私は好奇心旺盛な性格で、興味ある案件には強欲なまでに深掘りします。新聞記者になったのは就活したわけではなく、まったくの偶然と運でした。で、50を過ぎて本格的に占星術を勉強したころ、紹介されて豊橋まで「過去世が見える女性」に会いに行きました。
彼女は、もちろん僕の素性、氏名、年齢、職業も知りません。対峙すると、僕の過去が見えるそうです。いろいろ見てくれました。最低200回は輪廻転生しているということですが、まだまだ少ない部類だそうです。
気になったのはごく近い過去で1700年前後の江戸時代。『あなたが何か紙に文字を印刷したものを書いたり、人々に配る姿が見えます』「それ瓦版?俺じゃん!」もちろん彼女(ユキさん)は自分が元新聞記者であることはまったく知らない。
もうひとつ。これは明治時代に入ってからだと思いますが『川が見えます。子供が流されています。あなた、飛び込みました。子供はわかりませんが、あなたは死にました』。複数の親戚から、祖先にそういう方が実際にいた、という話を以前に聞いたことがあるので、鳥肌が立った。「どんな川ですか?」という質問に、『そんな大きな川ではありません。木の橋が見えます。人の姿も見えます。街も見えます』とユキさん。これはあくまでも自分の想像だけど、隅田川かも。
さて、ここからは近代史になります。
私から見て四代先に安藤順正がおります。NHKの渋沢栄一物語時代に徳川慶喜邸(江戸城)内にて、住み込みでなんらかの仕事に従事していたと、系図にあります。残念ながら写真等は残っておりませんが『順正』という印鑑は残っているので、実在したことは間違いないでしょう。
その長男・忠義は皇居内にて生誕とあります。のちに仏語学者となり、外務省の仏語翻訳者や、大学教授となるのですが、どこで仏語を習得したかは書かれておりません。しかし、教え子の大杉栄の著書によれば長崎で学んだそうです。
江戸から長崎まで、歩いて行ったとは非現実的だと思っていたのですが、船で行ったのですね。渋沢物語で合点がいきました。
その後、大政奉還で江戸城を出た安藤家は忠義の職場となる早稲田大学と陸軍大学(現在の防衛省のある場所)にほど近い牛込柳町〜神楽坂界隈に居を移したとあります。大正時代には雑司ヶ谷に広い土地を借りて2軒長屋を4棟、合計8世帯が入る借家を経営したそうです。ここで関東大震災を経験します。
その時、家がどうなったかはわかりませんが、大正15年生まれの父親によれば、その後の母家は2階建てで、忠義の時代もそうだったそうなので、おそらく震災での倒壊は免れたようです。しかし、昭和20年3月の東京大空襲で完全に焼かれ、山梨県上野原村に疎開。親父は早稲田大学1年の18歳の時に神宮外苑で行われた出陣学徒壮行会(昭和18年10月21日)で行進した組。瓶ビール券2枚をもらい、後日、東京湾の軍艦の上で現物と引き換えて生まれてはじめてのビールを友人と飲んだ、という。大学は2年で繰り上げ卒業となり、二十歳になった昭和20年9月1日に志望した海軍に入隊予定だったそうです。
その二週間前の8月15日に終戦を迎え、入隊することはありませんでした。というわけで、親父は戦死せず私が生まれ、今、生きている方々は、それぞれが千差万別、なんらかの奇跡的な幸運が重なり現在に至るわけです。
自分が長生きしたい理由は、せっかく祖先が生き繋いでくれた生命(DNA)ですから、自分の眼(水晶体)を通して、祖先が見ることの出来なかった時代を見せてあげたい、と思うからです。
今、鳥の眼視線で、この病院の18階から、早稲田〜雑司ヶ谷、あるいは牛込界隈を覗いています。
私には二人の娘がいますが、このようなファミリーヒストリーはまだ伝えていません。タイミングというか、機会を逃しましたので、いつの日か、この文が彼女たちの目に留まればと思い、書き残しました。
退屈な個人的な話にお付き合いください、ありがとうございました。
少数派日記21