少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1130 あみうと一緒に1

金沢の養護学校山元加津子先生から、今朝6/23日、届いたメルマガ「星野ひとつ」より、全文転写させていただきます。
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今日は白雪姫プロジェクトの「あみうと一緒に歩いて行こう」を載せさせていただき
ます。
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「1ヶ月が過ぎました」
amiが亡くなって、13日で1ヶ月が経ちました。みなさん、amiや私たちへの応援の拍手やコメントを下さって本当にありがとうございます。13日は、1ヶ月前のその日のことを、時間を追いながら心静かに過ごしてました。この時間に、amiが大好きだったのんたんの絵本読んだなぁ。吸引したら一気にサチュレーションが下がってたなぁ。急変の電話もらって、車で怒鳴りながら病院にかけつけたなぁ。いろんな思い。昨日のことのようだけど、すごく前のよう。。。ただ、amiがいない現実は、ゆっくりと流れています。
この1ヶ月は、毎日のようにamiに会いに、長い間会っていなかった方、ブログで知り合って初めて会いに来てくれた方、病院のお友達、幼稚園のお友達、ママ友。たくさんの方が我が家に来てくれました。私が寂しくないように、amiへのお供えもたくさん持ってきてくれました。7日ごとの法要には、じぃじ、ばぁば、妹家族も何度も足を運んでくれています。amiに会いにきてくれる度に、感謝の気持ちでいっぱいで、amiが遺してくれたご縁。これからも大切にしていきたいと思っています。お通夜、告別式から1週間。泣いてばかりでしたが、それ以降は、ほとんど涙が出なくなりました。自分の感情に無理をしているわけでもなく、amiを思っても涙はあまり出ず、泣いてもすぐにamiの笑顔が浮かんで、自分も笑顔になるんです。きっと、私の中にamiが生き続けてくれていて、大丈夫だよ。って言ってくれているんだと思います。
でも、13日は、亡くなった時間が来るにつれてすごく悲しくて、やっぱり寂しいと気づきました。amiとの思い出の曲、ブログでも紹介しましたが幼稚園の園児が歌ってくれた「ずっとともだち」。病院のコンサートで聞いたさだまさしさんの「いのちの理由」。発症時によく聞かせていた「Bilive」。曲を聴くとたくさんの思い出と共に、amiの遺影の前でたくさん泣きました。「ありがとう。」「あみ、本当にありがとう。」amiにかける言葉は、それしかありませんでした。後悔もあったり、こうなった現実に悔しい気持ちもあったりす。けど、私の素直な気持ちは、やっぱり「ありがとう」なんですよね。産まれてきてくれて、ありがとう。私達のそばにいてくれて、ありがとう。あみがお空にかえるまで、私達に時間をくれてありがとう。
元気いっぱいだったあみと過ごした時間も、病気になって眠り姫になってからの時間も、様々な葛藤もありましたが、私達家族にとってはかけがえのない尊い時間でした。kaiもその日の夜には、「あみちゃんいなくて寂しい」amiのベットを指さして「あみちゃん、ここにいてほしい」と涙をポロポロ流しまた。私もkaiを抱きしめて、「ほんまやなぁ。寂しいなぁ。あみちゃんに会いたいなぁ」パパと一緒にkaiの気持ちに寄り添いました。告別式の後は、kaiもamiを思い出して泣くことはなかったので、寂しい思いを素直に出せて良かったと思います。でも、月命日の日に泣いたのは、amiが「かいゆー。泣いてもいいよぉー。あみのこと思い出してね〜。」って言ってくれたような気がしてなりません。
他にもamiが亡くなってから、不思議なことがたくさん起きました。私は一切ないんですが、パパは、もともと霊感というか、勘が鋭くて、いろんなことを感じることができる人です。以前の車の事故や今回の入院も嫌な予感がする。と言って、当たってしまいました。不思議なことばかりですが、私には偶然ではないamiのメッセージのようなものを感じます。信じられないかもしれませんが、みなさん、暖かい気持ちで読んでくださったら嬉しいなぁ。と思います。(つづく)
●幼稚園でamiが亡くなって、最期にみんなに会ってもらおうと幼稚園に行った時、うっすら目を開けていました。幼稚園から帰る頃には目を閉じました。幼稚園のお友達の男の子も「あみちゃん、まだここにおるでー」って言っていました。amiは、amiの身体でみんなのことを見たくて、目を開けたのかなぁ。と私達は思えました。
●お通夜でamiが大好きだったお友達の男の子が来てくれた時、kaiが「○○くぅーん」と近寄って、ムギューって抱きしめたそうです。「○○くん、おっきぃね〜。かい、ちっちゃいね〜」とお話したそうです。○○くんのママからのお話を聞いたんですが、kaiはその子の名前を覚えてるはずないんです。まだ小さかったし、kaiは人の名前を覚えてるのが苦手なので。案の定、kaiにその子の写真を見せたら「しらなぁーい」って言ってました。きっと、amiがkaiの身体を借りて、お別れしたかったんだと思います。
●告別式が終わった夜amiがお骨になって、おうちに帰ってきてから、パパが神棚に手を合わせたら、「ママ─」というamiが私を呼ぶ声をパパだけが聞きました。私もkaiも一緒にいたのに聞こえなくて、パパだけがamiを感じる。と言っていて、その時は、なぜママと呼んだのか。意味がわかりませんでした。夜ご飯を食べながら、amiの遺影を見ていたパパ。「そっか。そうやったんかー!!」とamiの写真にしゃべりかけて「おれは、お通夜も告別式もずっとあみに「パパは大丈夫だよ。amiのことが大好きだから泣いたりするけど、大丈夫だよ」って言っていたけど、ママは違うかったやろ?だからamiはママのことが心配で「ママー」って呼んだんやって。ママにわかるように母の日を選んで「ありがとう」を伝えたかったんやって」とamiの声を感じたそうです(実際に声は聞けないんだけど、その思いを感じるそうです)確かにそうでした。
私は、ずっと後悔していました。せっかく家に帰ったのに、もっと絵本を読んであげれば良かった。しんどい時、もっと背中をさすってあげれば良かった。もっとamiの思いに気づいてあげれば良かった。あんなに頑張ったamiにまだ心配かけて、またそれも自分が情けなくて涙が出てしまい、amiにありがとうなんて言ってもらう資格なんてない。まだまだできることがあったし、もっと、ずっと一緒にいたかった。全然、負担なんて思ってなかった。と思い、涙でぐしゃぐしゃになっていまいました。
でも、amiがありがとう。といってくれるなら、できなかったことを悔やむのはやめようと思いました。でもでも。とウジウジ考えてる自分もこの時点ではいました。
●パパの夢で・・・パパが寝る前に「あみは、どんな気持ちだったんかなぁ。パパに教えて」とamiに話しかけて眠ったそうです。その夢が、近所の道をパパは自転車。私はバイクで走っていました。パパの目の前が突然オレンジ色に光って、後ろ向きに倒れたそうです。仰向けに倒れ、どこもかしこもピクリとも動かなくなってしまいました。でも、耳だけは聞こえていて、倒れている自分の横を、知らない人達が、気づいてるのに知らないふりして通りすぎています。私に連絡を取らなくちゃ。と思い、必死で携帯を探すんだけど、手が動かなくて、何もできなかったところで目が覚めました。
でも、不思議と、知らん顔されても「仕方ないんかなぁ」っていう気持ちだったみたいです。amiは、自転車しか乗れなかったから、パパが自転車で、私がバイクだったんですよね。amiは発症して、必死にママに連絡を取りたかったけど、ママが去ってしまって、amiが眠り姫になってから、私達家族や、看護師さんに、色々言いたかったけど、気づいてもらえないこともあったんだなぁ。と思います。
カーネーション 亡くなる前に、amiが発症して7ヶ月お世話になった病棟の看護師さんが折ってくれたカーネーションの折り紙がありました。告別式の次の日、そのカーネーションをamiの祭壇にパパが飾ったんですが、何も気にせずカーネーションを差したそうです。
そのあと、お客様が来られて、何気なくパパがカーネーションの束を見たら、「ママありがとう。あみう」と書いたカーネーションが浮き出ていました!!1枚だけ、そのメッセージが書かれたカーネーションがあったんです。それが、不自然に飛び出していました。きっとamiからのありがとう。のメッセージでしょうね。その時、amiにしてあげたこと。全てに後悔しないとふっ切ることができました。私の背中をamiが押してくれたんだと思います。
●鐘の音 告別式の次の日、kaiの鼻水と中耳炎が気になったので、耳鼻科に向かいました。とても天気が良い日でした。いつもの耳鼻科に向かっていたのですが、なぜか、違う耳鼻科に行ってみよう。という気になり、区役所の近くの耳鼻科に向かいました。そこはすごく混んでいて、待ち時間の間に、区役所でamiの障害者手帳返却等の手続きをすることにしました。区役所を出た瞬間、区役所の鐘の音が響きました。
タン ララララ ラーンラーン。「主は冷たい土の中」という曲でした。実は、パパは中学1年生の時、生後2ヶ月の妹を亡くしました。パパが新聞配達から帰ってきた時に、赤ちゃんの顔を見て、顔色が悪いのに気がつき、お母さんは急いで病院に連れて行きました。夜だったので、当時はレントゲン技師がいない。という理由で、レントゲンを撮ってもらうことができずちゃんとした治療ができなかったそうです。夜中に
赤ちゃんは亡くなりました。肺炎でした。
パパは、自分がもっと早く帰って気がついていれば、妹を助けることができたのに。とずっと後悔していました。私は、パパが悪いんじゃないよ。と言っても、パパは納得なんてできるはずもなく、自分のせいだ。と責めていました。amiが産まれてからも、「風邪は怖いから、気をつけないと」と私にもよく言っていました。
妹ちゃんが亡くなった時、学校で習った曲が「主は冷たい土の中」だったそうです。パパが唯一弾ける曲です。amiが元気だったころ、amiのピアノで、聞かせて、あみに「パパの妹との思い出の曲やで」と言っていました。そして、その日。区役所から聞こえたのは、その曲だったんです。
私が違う耳鼻科に行っていなければ。耳鼻科が混んでいなければ。区役所に行っていなければ。聞けなかったはずの曲が、ちょうど私が区役所から出た瞬間に聞こえました。あー。あみは、妹ちゃんと会えたんだー。妹ちゃんも大丈夫だよ。って教えてくれてるんだ。amiがこの曲を聞かせる為に導いてくれたんだ!!!胸の中がありがたい気持ちでいっぱいになりました。耳鼻科から帰ってすぐに、パパにこの話をしたら、「あみはすごいなぁ。すごいなぁ。」と言って、ずっと責めていた自分の気持ちがフッと取れたそうです。もし、私の気のせいだったら、それが取れないと思うんですが、気持ちが楽になったということは、きっとamiがパパに伝えたかったことなんだと思います。
他にもパパには、amiがベッドでジャンプしてる音や、洗濯機の籠で遊んでる音が聞こえたそうです。それも初七日が過ぎたころには聞こえなくなったので、amiは少しずつ天国への階段を登っていってるんだなぁ。と言っていました。良いところにいけるといいなぁ。と思う反面、amiを感じることができなくなってきたので、少し寂しいみたいです。他にも感じる人には、amiは会いに行ってるようで、幼稚園のママ友の旦那様も私の家でジャンプしてるamiを感じたり、お友達も、小さい子の影を見
た。とか、幼稚園のママ友も、最近、我が家でお茶してる時に、みんなの後ろの方にいるamiの影を感じたそうです。
私は、amiの気配は何も感じないんですが、amiが心の中にいます。いっぱい泣いた日も、amiが私を笑顔にしてくれています。親ばかかもしれませんが、amiは、私にいろんなことを教える為に、この世に産まれてきて、また旅立ったのかなぁ。と思ったりします。なんだか、amiが亡くなって、とても大きなものに包まれているのを感じています。寂しい気持ちもありますが、これからは、私達が生きる支えになってくれるんだと思います。ami、ありがとう。ママもパパもkaiも、これからも笑顔で自分らしく自分達の道を歩いていきます。お空から見守っていてね。
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<注・ここからは山元先生のコメントです>
あみちゃん、本当にありがとう。お母さんはあみちゃんは、私にいろんなことを教えるためにと書いておられます。でも、お母さんがブログを書いてくださっていることで、あみちゃんは、本当になんて大きなことを私たちに教えてくれていることでしょう。そして、私は「亡くなってもなお生きる」とそのことを、また教えていただいたと思います。あみちゃんがいてくださったから、私たちはあみちゃんのご家族と出会<えたし、いろんなことを共有していける。
かつこ。<後半略>