2691 私の誕生日記
8/17-17
おはようございます。
実家の整理整頓12日目。
私はとうとうパンドラの箱を開けてしまいました。
FBFの皆さま、私がどれだけ分筆人間か、すでにお分かりかと思いますが、私も薄々気づいていたのですが、これは完全なるDNAです。
父の安藤家は早稲田の教授が2名、著書多数の上、父本人が書いたおびただしい手紙、日記、ミニコミ誌の数、多数。
母の山口家は4人の弟が、三男・北海道新聞記者、次男・シナリオ作家でシナリオ作家協会理事、雑誌シナリオ編集長、四男・コピーライター、長男・GHQの通訳翻訳官、つまり全員が分筆に関わっているのです。
で、母親の日記、昭和34年8月29日には、まだ胎内にいる私が一人称で母親にペンを握らせています。
「暑い日でした。ママは今 僕の横でペンを就りました。この日の朝、僕のパパが腹痛を訴えました ママも目が覚めてお手洗いに行くと 僕が生まれる前兆でした」
(中略)
「陣痛室に入ってから長い苦しみでした でも五時きっかりに 僕が生まれました」
(中略)
「ママは最高の喜びでした 家中が男の子を希望していたのですもの」
(中略)
「身長が53㎝もありました。夕刻、お乳を含みにママのところに来ました。まだ お乳は出ませんが二人で練習しました・・・」
どうですか?結構怖いでしょ!
まあ、僕も赤ん坊でしたから、はっきりとではありませんが、とても暑かった記憶はあります。あ、嘘ですよ。
でも「お乳を飲みに」ではなく「お乳を含みに」というのは、とても文学的な表見ですね、感心しました。
もう一つ、おばあちゃんからの手紙。
東京から安城へと父の転勤。
姉は小6の途中なので、東京の小学校を卒業して、中学から安城へ、約4ヶ月の時間差移住。で、東京の父方祖母は、東京から離れたくないとひとりでしばらく残りました。
たかちゃんへ
ぼく げんきですか おばあちゃんは ひとりでさびしい
みんなのこと おもいだしています おねーちゃんとは なかよくしていますか
四ッ引き出のなかに てつじんのちょうめんがはいっていますよ
明治生まれの祖母も共立女学校を出ているので、大人向けの手紙には漢字を多数使っています。筆まめです。
自慢話しに聞こえたらすみませんが、すごい数です。
読み出したらキリがないので、とりあえず一旦やめます。