663 安藤総理大臣11
アキバ48総選挙が終わり、一定のメドがついた。
6/6(月)朝から金策。銀行を覗くが打開策なし。主治医のIクリニックへ行き診察と点滴、診察料8750円はイタイ。
午後、TKSのK会長主催で「吉田ソースの吉田潤喜社長」の講演会に出席。帝国ホテルで1500人の大盛況。アフターで品川のK会長経営の「なんで屋」で懇親会。講演会の会費は3000円で収益600万円は全額、東北地震の震災孤児の育英資金として「あしながおじさん育英資金」に寄付。アフターも会費3000円だが、これを支払った時点で僕の財布にもう札は無し。トホホホ。
されど懇親会は盛り上がり吉田社長とも親しくなれた。彫刻家の山本先生、デザイナーのC嬢、途中から医療関係のパートナーN氏も駆けつけた。
実はこの「なんで屋」だが、かつて僕が就職した東京中日スポーツ(中日新聞東京本社・東京新聞)の跡地にある。当初は古めかしいビルで地下には印刷工場と人民食堂と呼ばれた社員食堂、それに風呂があった。
印刷中のゲラをいち早く見るために地下に降りることもしばしば。人民食堂と、風呂には毎日お世話になった。
昨年、ここは豊田通商ビルという名で賃貸形式のオフィスビルとなった。偉そうな顔をしてやがる。しかもオシャレときた。
当時、他の新聞社がすべてオフセット印刷に切り替えたにもかかわらず、東京に唯一残されている、旧式の輪転機式印刷だった東京中日スポーツおよび東京新聞は、歴史の生き証人として、小中学校の社会見学コースのひとつになっていた。言い換えれば、トラクターを買えない農夫が鍬で田んぼを耕しているようなものだ。
もし、僕が東京中日スポーツに行かなければ、K会長のところで皿洗いをして、今ごろはこの新しいビルで、客をもてなす側にいたかも知れない。
宴会が盛り上がったところで、僕は山本先生のお誘いを受け、新宿歌舞伎町の韓国クラブへ。韓流美女を相手シーバスなどいただく。その後は先生のお決まりコースでゴールデン街へ。
終電の時間が気になり出し、先生に別れを告げて駅まで早歩きで行くも間一髪間に合わず、されどポケットの中は小銭だけ。
カードの効くタクシーをつかまえ帰宅。講演会で購入した吉田ソースは8月から行ってみヨーカ堂で販売するが、新安城ビリケンカフェで先行販売の予定(交渉中)です。