1073 1114の彼女
安藤の女遍歴ではありませんが、忘れられない彼女がいます。
1114の彼女。1113の彼女とは別人で、僕の学生時代の彼女で早稲田を中退した子でした。
巣鴨のサントリーパブ「コタン」でカウンターガールのバイトをしていた彼女に会いたくて、半年間土日を含めて一日も休まず通いました。
「安藤さんを探すならコタンに行け」というのが同級生の合言葉となり、同級生のドストエフ岩崎、セリカ今井、社長小野、御曹司加藤、マッチ高間あたりは僕を探しにコタンによく来たものです。HRのことを、ブログの読者で知っているのは、おそらくドラゴン斉藤さんと、レッドキング藤島くらいでしょうか・・・。30年前の懐かしい物語り。
誰にでも平気で声をかけることができる僕ですが、何故だかHRにはそれが出来ず、店には午後10時から、閉店の早朝4時まで、毎日6時間居座って、サントリーホワイトを必ず1本はカラにするのですが、結局、半年間、HRとは、まともに口もきけませんでした。
ある日、HRが「いっしょに唄おう」と誘ってくれたのが中森明菜の「セカンド・ラブ」。コタンには昭和時代のカラオケステージとミラーボールがあり、唄の時だけ、カウンターの中から女性が出てきてデュエットしてくれるシステムなのです。HRと歌うのは、決まって「セカンド・ラブ」だけです。3カ月くらいしたころから、HRが後ろ手で他の客に見えないように僕の指に彼女の指を絡めてきました。ドキドキしましたね。後楽園球場で巨人ファンを何人もぶん殴って、富坂にもっていかれても動揺したことなかった僕ですが、HRの指絡めにはとまどいました。本来なら、ここで一気呵成に・・・というのが通常のパターンですが、何故だか、それもできなかったんですよねえ・・・。
やがて、バイトも辞め、学校にも行かなくなり、つまりは資金ショートでコタンに行くゼニも底をつき、いよいよ部屋の電気、水道、電話も止められ(ガスなどもともとない)外部と音信不通の状態に・・・。水とトイレは近くの両国震災慰霊公園で済ます・・・という、よれよれの生活に・・・。ただ息をして生息しているだけの生き物に成り果てたのです。
そんな頃、走馬灯のように脳裏をめぐった曲。徳永英明バージョンで・・・。
夜が明けて、日が暮れるまで、カーテンもない部屋の布団の中でうずくまり。日が暮れて、夜が明けるまで、やはり布団の中でうずくまる。つまり引き籠り・・・。テレビもラジオさえもない、蔵前橋通りのトラックの振動だけが唯一のBGMの部屋。昼と夜の境目もわからぬ日々・・・。
そんな生活が半月ほど続いたある夜、夢を見た。
「なにやってんの、早く着替えて。いっしょにご飯食べに行くよ」
枕もとで、HRが僕を起こす。「え〜、来てくれたんだあ〜。嬉しいな〜」と僕。
「でも、これ、夢だよね・・・」と本当にそう言ったそうだ。
「夢じゃないよ、ほら、早く起きなさいよ」HRはそう言って、僕の手を引っ張った。
僕は部屋に鍵をかけない主義なので、誰でも自由に出入りできる。「それにしてもどうして、ここがわかったの?教えていないはずなのに」「だってTはお友達がたくさんいるでしょ、ドストエフさんとか・・・」そうか、あいつらに聞いたのか・・・。それにしても、僕はまだ夢の中だ・・・。
僕は着替えて、HRに手を引かれ外に出た。そして彼女は慣れた感じで蔵前橋通りでタクシーを止めた。僕にとって、おそらく東京でタクシーに乗ったのは、これが初めてじゃないのかな。
「錦糸町のロッテ会館へ行ってください」と彼女は運転手さんに告げ、「あそこのレストランなら、まだやっているはずだから。前にね、友達がバイトやってて行ったことがあるの」と僕に言った。
「これでいいよね・・・」と彼女は一番高級なサーロインステーキのセットを二人分オーダーし「ビールも飲むでしょ」と僕の分だけ、ビールを注文した。
「わたしはね、お肉食べない人なの・・・Tが食べて」と彼女はスープとサラダだけ取って、ステーキは一口も手をつけないまま、僕に寄越した。やはり、僕はまだ夢の中にいた。コタンではAさんと呼ばれていたが、さっきからTと呼び捨てにされていた。ここから先はもったいなくて書けません。
「やっぱり夢だよね、これって・・・」
「そうね、夢かもね・・・」
この日から、球場へも、バイト先へも、どこへ行くにも、彼女は僕にくっついてきた。(おわり)