少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1184 7月22日

ブログを始めて4度目の7月22日が来ました。
去年の、その前の、その前の前の7月22日、日記をめくらなくとも、自分が何処で何をしていたか、鮮明に覚えているのです。
あの娘が生きているとき、どんな風にしてあの娘の誕生日を祝ったのか、何ひとつとして記憶にないのに、不思議なものです。
彼女が最後の呼吸をしたとき、僕は何処で何をしていたのか?彼女の瞳に最後に映った光は何だったのだろうか・・・。
彼女が病気だったこと・・・、亡くなってしまったこと・・・、何年間も知らずにいたこと。
謝りたいことがいくつかあり、毎年、あの娘の誕生日にかこつけて、もう暗記した彼女の番号にダイヤルしてた。携帯電話などないころからの付き合いだから、彼女のマンションの固定電話だけが、唯一の繋がり。呼び出し音は鳴るが、誰も出ない。主はもう居なかった。
「もう何年も経つのに、まだ、YURIの部屋、片づける気分になれなくて・・・、そのままにしてあるんです・・・」お母さんがそう言った。だから、あの番号はまだ生きていた。
今でも僕は、破廉恥で、彼女に対してとても恥ずかしい生き方をしている。
目の前にいる人は誤魔化せても、YURIや郁ちゃんや、麻梨花ちゃんたちには通用しない。きっとYURIに恥をかかせている。
去年の7月22日。YURIが僕に素敵な贈り物をくれた。
歌舞伎の中村勘九郎改め勘三郎さんが陥った「突発性難聴」。激しい耳鳴りと目眩。僕は去年の今日、深夜の自宅で倒れた。
ぐらぐらと床や壁が揺れ、地震が来た・・・と思った。ソファーに横たわり、しばし落ち着くと、地震ではなく自分が揺れていたことに気付いた。
深酒のせいかと思った。この日はしたたかに酔っていたのは事実だが、酒で倒れたことは過去に一度としてない。
まるで乗り物酔いのように天井がぐるぐるとまわる。嗚呼気持ち悪い・・・。冷や汗で革のソファーにシミが残る。
明け方、少し、気分が回復して、自分のベッドに戻ったが、翌日は何もする気になれなかった。かつて経験のない激しい耳鳴り。ここで知識があったなら、すぐに病院へいっただろう。でも、耳鳴りくらいでは病院に行かない。
しかし、それが一週間も続けば、さすがにおかしい。病院での診断は「突発性難聴」。発生から2日以内ならステロイド投与で回復する可能性もあったが、一週間も経過しては難しいと耳鼻科医。結局2週間の入院も完治に至らず、「耳鳴りは慣れるしかありませんね」と医師。2週間の入院中、同じ患者が多いことに驚く。
入院中も退院後もしばらくは睡眠薬なしで眠ることは不可能だった。
「おはよう」から「おやすみ」までの激しい耳鳴りは耳の中に「蝉」がいるみたいで、時々、頭をかち割って、蝉のやつをつまみ出してやりたいくらいの衝動にかられる。
でも、これが「私を忘れないでね」という彼女からの「贈り物」だとするなら愛おしくも感じられる。彼女が体験した痛みに比べれば、比較対象にすらならなり得ない。
彼女を担当した看護婦さんのひとりが、お母さんにこう言ったそうだ。
「お母さん、YURIちゃんに、よく頑張ったね・・・って言ってあげてください。彼女、本当によく頑張りました」
YURIが最後に見た光と匂いに会いたくて、鶴岡の病院を訪ねた。どの病室かは知らないが行けばYURIが案内してくれるだろう。小さな待ち合い、最小限の売店、薄暗い廊下、冷たい壁。なるべく多くの物に触れ、彼女を感じたかった。
Happy Birthday to you・・・