1280 悲劇カレー5
「んんん・・・じゃあ・・・えりも岬でも・・・」
「へい、ありやとやんす」
咄嗟に出た襟裳岬は、先ほどの荒木町でA君がしみじみと唄っていたのが印象的だったからだ。
「ほら喰いたけりゃ喰いなさいよ。で、食べたらとっとと帰ってね」と温まったカレーを出しながら、このアマまだやる気でいる。
「このトーモロコシも喰っちゃっていい?」と喰いたくもないのだが、仲直りのきっかけをつかもうと茶化して言ったら、「ダメ、御通しはひとりにひとつだから」と明日には確実に腐るモロコシを取り上げられ、収まった怒りが再燃。
その横で源さんがひとり、意味不明の曲を遠慮がちに奏でている。これ、何という曲だろう?聞いたことがない・・・。
すると突然、「えり〜もの〜はる〜は〜」とおなじみのサビが・・・。分厚い歌詞本を覗くとたしかに「襟裳岬・森進一」の文字が。おお源さん、自分で作曲なさったか?
するとRママが「歌詞が違う歌詞が・・・源さん、勝手に歌詞変ちゃだめでしょ。そこは、なにもない春ですう〜だから・・」
作曲ばかりでなく作詞もされていたとは恐れいった。
源さんのオリジナル襟裳岬で、とりあえず場は和んだ。音楽はええ。
「ところで源さん、何であのタイミングで僕に声をかけたの?」
それは寝たふりをした老練の流しが「場の空気」を読む絶妙な匠の技だと推測したから、尋ねてみたかった。
源さんが言った。「実はお見えになった時から、旦那さんに足を踏まれてまして、あの時は、何やらグ〜っと力が込められたようで、あっしも我慢の限界だったもんでつい・・・」
「それはそれはご無礼申し上げました。すみませんねえ」僕は源さんにチップを渡した。
話を巻き戻そう。四谷のライブハウスで見たY嬢の華麗なリボリューション。自分改革。新しい自分。素晴らしいと書いた。
新宿ゴールデン街「N」のRママ。これも一種のリボリューション。されどこちらはお世辞にも華麗とは言えない。しかし、本心をさらけ出すことは、便秘が解消されたようでご本人はさぞ気分がよかろう。
日本広しとはいえ、ゴールデン街デビューのA君B君にとって、こんな印象深いデビュー戦はなかっただろう・・・という意味でRママには感謝したいが、みなさまも深夜のカレーの勧誘には重々気を付けなはれや・・・と書いてこの項を締めさせていただきたい。
されど、もうひとつデザートを。
じつはもう一軒「O」でクールダウンしてから明け方の4時すぎに帰途についた。歌舞伎町に連ねる長いタクシーの列。僕は同じ方向の中野坂上に住むB君を送りがてら帰るつもりで、すぐ前に停車していた個人タクシーに乗り込んだ。
いい香りがした。芳香剤だが嗅ぎ覚えがある・・・。
「あれ・・・?運転手さん・・・もしかして、昨日も僕、この車に乗りませんでした」
「はい、お乗せいたしました。笹塚のお客さまですよね・・・」
「そうです、そうです」
「昨日もサッカーのシャツ着てらしたでしょ。覚えていますよ」
「じゃあ、行先はおわかりですね」
「はい、中野通りのローソンの前ですね・・・」
拾った場所も時刻も違う。何万台あるかわからないタクシーの中から同じ車両を連続でチョイスすることは天文学的な確率だろう。だからどうしたというわけではないが、悲劇カレーの結末としては悪くない。
(この項、了)