1813 鬼畜外道
さわやかなる「少数派日記」としては、避けて通りたい案件だが、昨夜から続く再びの高熱と血液検査の悪化は、見て見ぬふりをしようとする安藤総理に対しての抗議だと受け止めて、あえて、鬼畜外道の悪業に触れます。
横浜の幼女虐待殺害、および死体遺棄事件の被害者・山口あいりちゃん(当時6歳)について思う。この手の事件は今に始まったことではなく、昨今、日常のように繰り返されている。直接、手を下した鬼畜は論外として、安藤総理が問題視しているのは、まるで他人事のように、ワイドショーのインタビューに応える近隣の住人や同じアパートの隣人、あるいは児童福祉センターのクソ役人どもとか、アカン警察の面々。これだけ、多くのSOSのメッセージを幼児たちが、可能な限りの智恵と声を振り絞って送っているにもかかわらず、インタビューに応える大人たちは、単なる「善意の他人」で罪の意識がまるでない。
安藤総理に言わせれば、彼女、彼らは幼児らの悲痛なメッセージをどんな思いで受け止め、対処していたのだろうか? 厳密に言えば「救えたはずの命」ではなかったのか? もっと辛辣に言えば「加害者」の一端を背負っていると断言しても反論はないだろう。
小さな子供が裸足で屋外で泣き叫び、せっかんされる叫びが安普請のアパートに響く、「ママ、お願い、もう許して」「もうしないから、ぶたないで」「痛い、痛いよう、助けてよう・・・」
この声聞いた住人や役人は、どうして助けてあげなかったのだろうか・・・?世の中には、不慮の事故や、病で、幼い命を失い悲しみにくれる親は大勢いる。また、子宝に恵まれない人も同様にいる。そんな苦しい思いをして、殺されるなら、養女として、優しい育ての両親に迎えられるという人生もまたある。
「明日は我が身」という想像力に欠如した近隣住民と、行政の無能無援ぶりが、きょうもまたどこかで、新たな幼い犠牲者をつくっていることに心が痛む。
ーーーーーーーーーー以下ネット記事抜粋ーーーーーーーー横浜の女児遺棄
同棲1カ月で犯行…2容疑者、互いに責任押しつけ合う
産経新聞 4月26日(金)7時55分配信
横浜市磯子区の雑木林で山口あいりちゃん=当時(6)=とみられる遺体が遺棄された事件で、死体遺棄容疑で逮捕された母親の無職、山口行恵容疑者(30)と元同居相手の建設作業員、八井(やつい)隆一容疑者(28)は、インターネットのコミュニティーサイトで知り合って同棲(どうせい)を始め、1カ月ほどで事件に及んだ。この間、次女(4)への虐待も発覚。本来就学しているはずのあいりちゃんは小学校に通っていなかった。
神奈川県警秦野署捜査本部などによると、山口容疑者は昨年4月、千葉県松戸市から神奈川県秦野市内に住む男性の家に引っ越してきた。6月末ごろには、八井容疑者の住む横浜市南区のアパートに転がり込む形で同棲を開始。八井容疑者とはコミュニティーサイトで知り合ったという。
直後の7月3日には「子供が泣いている」と110番通報を受けた県警が、屋外に閉め出されていた次女を発見し、虐待の疑いがあるとして児童相談所に通告。八井容疑者の供述では、同月21日夜に両容疑者が一緒になってあいりちゃんに暴行を加え、死亡に至った。あいりちゃんは昨年4月からは小学校に通うはずだったが、一度も通っていなかったという。
八井容疑者は調べに対し、山口容疑者が「言うことを聞かない」などと怒り、あいりちゃんに手を上げていたと説明。「『代わりに叱って』と言われ、暴行した」と供述している。
両容疑者は8月までのわずか約2カ月間だけ同棲。山口容疑者はその後、今月21日に県警が別の男性と茨城県小美玉市で同居しているのを確認するまでにも、東京都内や千葉県などでコミュニティーサイトで知り合った複数の男性宅を転々としていたとみられる。
山口容疑者と同居していたというある男性は県警に対し「感情の起伏が激しく、(子供を)たたいたりすることがあった」と証言。捜査本部は常習的な虐待の可能性もあるとみて全容解明を進めている。
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こやつらの所業を「鬼畜外道」という。
輪廻転生には六道あり。六道とはすなわち、仏教において迷いあるものが輪廻するという、6種類の迷いある世界のこと。 天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道。
仏教では、輪廻を空間的事象、あるいは死後に趣(おもむ)く世界ではなく、心の状態として捉える。たとえば、天道界に趣けば、心の状態が天道のような状態にあり、地獄界に趣けば、心の状態が地獄のような状態である、と解釈される。なお一部には、天狗など、この輪廻の道から外れたものを俗に外道(魔縁)という場合もある(ただし、これは仏教全体の共通概念ではない)。
外道(げどう、tīrthika)とは、仏教用語で、悟りを得る内道(ないどう、=仏の教え)に対する言葉である。転じて、道に外れた人全般も意味するようになった。インドにおける本来の意味は渡し場・沐浴場・霊場を作る人(tiiha-kara)のことで、一派の教祖を意味する。「外道」という漢訳語の原語にあたる言葉としては、他の教えを語る者(para-pravaadin)と、他の宗派の僧・教祖(anya-tiirthya)がある。
中国や日本においては元来、外道とは、仏教以外の教え、またそれを信奉する人びとを総称した呼称である。もともとインドに仏教が興った紀元前5〜6世紀ごろマガダ国に存在した、ヴェーダの思想から外れた自由思想家たちの中でも極端なものや異教の思想を指して言った。それらをもう少し特定する形で仏教用語では ”六師外道 ”とも呼ぶ。上記の用法から転じて、正論者から見て異論邪説を唱える人たちのことを貶めてこう呼ぶようになった。
これがまた転じて日常用語となり、人の中でも特に卑劣な者、人の道や道徳から外れた者などを罵るために使う言葉になった。
本日の松風庵主、安藤流アレンジでお楽しみください。
東京新聞中日新聞、本日の運勢から・・・。
運勢(26日・先勝)
「身の恥を知らぬを無慚(ざん)と言い、世の恥を知らざるを無愧(ぎ)という。恥を知る者人生大吉。自己の虚偽を知り天地自然の真実に頭を下げて万事妙運。
仏は影も形もないが、影となり形となって教えて下さる。盛んなるものは必ず衰える。平々坦々の中に安楽を見いだせ。
安請け合いするものは違約し易い。交渉事に注意。仕事をするには社会の利益のみ考えて万事吉。のれんに腕押し、手応えはないが絶えざる努力が肝要。
眼耳鼻舌身は心の配下である、心の持ち様が大切。個々に特色あり、完璧を求めず特色を認めて良運。
庭の敷石も洗い清むれば月は宿る。人にした事を忘れ、人にしてもらった事を忘れなければ運勢は開く。子孫に財宝を残せば怠惰な習慣を残す。
身の恥を知らぬを無慚(ざん)と言い、世の恥を知らざるを無愧(ぎ)という」
(松風庵主)
「叫ぶ子の 輪廻を憂う 杜若(かきつばた)」(平成芭蕉)
かきつばたの花言葉は「必ず幸せが訪れる」。あいりちゃんや、不遇な死を迎えなければならなかった子たちが、輪廻転生によって、再び今世も戻られたと時は、必ずや「幸せ」が訪れることを、心から祈ります。
あいりちゃんも、ここにしか咲かない花のひとり・・・・・
「あの優しかった場所・・・・」
彼女にとって、それは何処だったのだろうか・・・。
本来なら、ママの腕の中であって欲しい。
コブクロで「ここにしか咲かない花」
もうこういうニュースはこの世の中から絶滅して欲しい。
どこにでもいる「ここにしか咲かない花」。
そういう花を見かけたら、勇気を出して通報してください。子供たちのSOSに全神経を研ぎ澄ませ、気が付いてあげてください。