少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1816 賽の河原

「観音に 戻れし遠く 河原の子」(平成芭蕉


両国のお婆ちゃんといつか一緒に行く約束をしていた「恐山」。その約束を果たせぬまま、お婆ちゃんはひとり、三途を渡り、恐山に入山しました。安藤総理28歳の時。
もしも、本当に「一緒に行く気」があったのならば、自分の気持ちに、うしろめたさは微塵もない。されど「痴呆症のお婆ちゃんが言うことだから」とその場を凌いでいたことに懺悔の気持ちで張り裂ける。
そのころから「恐山」「三途の川」「賽の河原」にやたら反応するようになってしまいました。


山口あいりちゃん・・・享年6歳。
松風庵主の本日の運勢から・・・
「生前も死後も母親は子供にとって、観音であると悟る日」
それでも、あいりちゃんは、賽の河原で、石を積んでいるのだろうか?母親が迎えに来てくれるのを、ひとり、河原で待つ、赤い服を着たあいりちゃんが見える。石を積んでいる。涙が出る。


賽の河原

積み石 =三途川の河原は「賽の河原」(さいのかわら)と呼ばれる(「賽の河原」と呼ばれる場所も、後述の恐山のものをはじめとして、日本各地に存在する)。賽の河原は、親に先立って死亡した子供がその親不孝の報いで苦を受ける場とされる。そのような子供たちが賽の河原で、親の供養のために積み石(ケアン)による塔を完成させると供養になると言うが、完成する前に鬼が来て塔を破壊し、再度や再々度塔を築いてもその繰り返しになってしまうという俗信がある。このことから「賽の河原」の語は、「報われない努力」「徒労」の意でも使用される。しかしその子供たちは、最終的には地蔵菩薩によって救済されるとされる。ただし、いずれにしても民間信仰による俗信であり、仏教とは本来関係がない。




「最果ての 鬼の河原で 母祈る」(平成芭蕉


安藤総理注=それでも、あの子は、鬼のいる河原で「ごめんなさい」「ごめんなさい」と母が迎えに来てくれるのを裸足で待っている。優しい鬼が泣いている。