2846 安城遷都14
安城遷都(地下室整理)14。
おはようございます。昭和61年、60歳で他界した父親の遺言状が出て参りました。秀逸な遺言状、改めて敬意を感じました。日付から逆算すると最初の遺言状は当人53歳の時に認められております。事故死の場合、病死の場合の遺産相続とかも。とても素晴らしい遺言状ですので、FBFの皆様には是非読んでいただきたく思い、迷わず投稿いたします。少々長くなりますがお付き合いください。
「(前略) 人の世の常、何時愛する家族と死別せざるやも知れぬので、ここに遺言を認めおく。 そもそも我が家の生活信条は家族が相融和し助け合い励まし合い夫々が信ずる最高の歴史をこの世に残し、夫々の家族、社会に貢献することにある。遺族はこの信条に則り、特に長老者であり且母親である貴子の老後が安定し平穏に余世を送ることが出来るよう博美と貴樹の努力を切望する。(中略) 一族の平和と繁栄のみならず、社会、国家への貢献がやがては平和と繁栄にみちた世界人類社会を築く原動力となることを祈る」安藤博
この他、当時、会社員でありながら、小さな会社(飲食店、会社内食堂、賃貸物件、麻雀荘)を経営しており、その引き継ぎ事項、財産分与など、便箋十数枚に綴られておりました。
長文、お付き合い、ありがとうございました。
追伸・・・文中に「夫々」という文字が出てきます。私は読めずにネット検索しました。「それぞれ」と読みます。広辞苑にも出ていない宗教用語だそうです。「二」という文字は天と地を意味し、それを「人」が繋ぐという意味で「夫」という文字が構成されているという伝。なるほど、です。
私は父親と深い話をした記憶はありません。子供の頃、父親は海外出張ばかりで、ほぼ母子家庭です。中学高校は私が部活で、家では寝るだけの日々。高卒と同時に家を出たので、接する時間は圧倒的に少なく、私が26歳の時に急死でした。