3724 透析問題2
3/21/19
第一章 繋がった命の電波
・奇跡の波動(3)
私はこの事実を、適合ドナーの出現でほころんでいるDr・KとN医師に無念の思いで告げた。
「それ、なんとかならないのですか?」
海外渡航経験のないDr・Kが尋ねてきた。
「もしパスポートさえ手元にあれば、とりあえずこちらに来てからこちらで病気入院のための特別申請を行うこともできますが、パスポートは現在、中国大使館にあり、取り戻すことは不可能です。外務省経由の緊急申請の場合でも最短で二十四時間はかかりますから」と私は答えた。
急増しつつある自動車の排気ガスと工場の光化学スモッグでくすんだ23階の窓から見降ろす灰色の風景は、猛スピードで経済という階段を駆け昇る中国の落し穴なのだろう。ハードだけが先行してソフトが追い付かないもどかしさ。目の前にある繋がる命と、国境の壁の前に我々三人は沈黙した。
「それでも万が一ということもありますから、とりあえず電話だけでも入れてみましょう」。通訳のN医師がそう切り出した。
「そうですね・・・」。私は万に一つも無いんだよと、そのことは声には出さずに気もなく答えN医師の助言に頷いた。あとから振り返ればN医師のそのひと言がなければ奇跡の波動は永久に起こらなかったと断言できる。
それとは別にもうひとつの問題が生じていた。実は日本から持参した携帯電話がまったく繋がらない最悪の電波状態だったのだ。2004年のことではあるが事実なのであえて社名を記すと、docomo社の携帯電話は少なくとも私が滞在する広州ではほとんど役に立たなかった。当時、長年使っていたauからdocomoに契約を変えていたのだ。というのも、auのグローバルパスポートの利用料金がとても高額で経費の負担を少しでも軽減しようという目的から料金の安価なdocomoに変更したのがその理由だった。しかし繋がらない、大失敗だった。
場所や時間帯により、時々は繋がるのだがそれもブチブチと途中で切れてしまう。日本にいる海外移植支援スタッフとの相互報告も、そんな調子でままならない。私のフラストレーションは募り、日本のスタッフに、人命にかかわる問題なので即刻何とかするようにdocomoに改善を申し入れてくれと、無理を承知で怒りをぶつけたこともあった。
昨夜、日本にいる今村からの電話も何度かかけられた末に繋がった貴重な一本で、医局のある23階からのdocomoの電波は、それまで、ただの一度として日本に繋がったためしがない。逆にauは繋がらなかったことがなかった。このギャップには本当に悩まされていた。
パスポートは無い、15:30発の飛行機に乗らなければ間に合わない、電話は恐らく繋がらない、さらに決定的なのは、今村の自宅は神奈川県小田原市。現在、中国時間で午前十一時三十分、日本時間で昼の十二時三十分。仮に今すぐ小田原駅のプラットホームから新幹線に乗って、東京駅経由で成田エクスプレスに乗り継いだとして、成田まで最速でも二時間はかかる。すべての条件が奇跡的に揃えば、物理的に三時前には成田空港に辿り着き、飛行機に乗ることは不可能とは言い切れない。何事も最後まで諦めないという信念の私でも、さすがにこの時ばかりはサジを投げ、最後の「言い分け」づくりのためだけに、携帯電話に登録された今村雄仁の名前を検索し、日本へ発信というボタンを押した。