3725 透析問題3
3/21/19
第一章 繋がった命の電波
・奇跡の波動(4)
『奇跡』という神秘な言葉を軽々に使用したくはないのだが、ここから先、起こる物語の数々は、その言葉を連続させても差し支えないと判断した故、頻出させていただくことをお許し願いたい。
まず、この23階の部屋から、これまでただの一度として繋がったことのないdocomoの電波が一発目で日本の今村の携帯に繋がった。しかも、何の雑音もなくすぐそばにいるかのような距離感で聞き取れた。
「もしもし、安藤です。ああ、今村さん?・・・ですよね?」
これが本章の冒頭での今村雄仁と私とのやり取りである。思い返していただきたい。
「はい、今村ですが、安藤さん?ああ、昨夜はどうもどうも。どうかされましたか?」
普段は繋がらないはずの電話が一度で繋がったという私の驚きと、幸運中の不運を告げなくてはならない私の重圧が声となって、瞬間的に今村に不安を与えてしまったようだ。
「ああ、いやいや、どうされてるかなあ・・・って思いまして。で、いかがでしょうか?ご体調のほうは・・・?」
「ええ、お蔭さまで、風邪もひかずになんとか順調にやっております」
季節は晩秋から初冬に、気候が変わり目の11月末。温暖な広州から寒風吹く日本に戻り、風邪などひいて体調を崩せば、移植手術は延期となる。その旨をDr・Kから忠告され、今村は普段より体調管理に留意していたようだ。
「そうですか、それはよかったです。ところでなんですけど、今村さんって、今、どちらにいらっしゃいますか?」
「えっ、どこに居るか? 私のことですか? 実はですねえ、・・・ちょうど今、パスポートを取りに来たところなんですよ、えへへへへ」
「あれ? 今村さん、ゆうべの電話ですと、ビザが下りるのは明日って言ってませんでしたっけ?」
「そうなんですよ、たしかに、昨日はそうでした、明日できる予定だったんです。ところがね、今朝、家の近くを散歩してたら、旅行会社から携帯に電話がかかって来ましてね、今日できましたからって言うんですよ。でね、きょうは何の予定もなかったんで、暇つぶしも兼ねてパスポートを取りに来ちゃったんですよ」
我が耳を疑うという表現はこの場でこそ使うべきであろう。
「今村さん、今、なんておっしゃいました? もう一度、伺いますけど、今、パスポートを取りに行ってらっしゃるのですか?」
私は耳の遠い老人に話すように、わざと滑舌を効かせて問いかけた。
「はい、今、窓口にいます。安藤さんから電話がかかってきたのと全く同じタイミングというか、電話に出たと同時に手渡されました」
「嘘でしょ?」
「いやいや本当ですよ。今、私の左の手にありますから・・・パスポート」
私の全身に何かが走った。血液の流動が明らかに早まり、高まる興奮を抑えて私は冷静に次の言葉へ進んだ。
「でも今村さん、今、ご実家の小田原ですよね」
「いえ、六本木の中国大使館ですよ」
「小田原の旅行代理店じゃないんですか?」
「申請したのはそうですけど、自分で受け取りに来ましたから、六本木にいます」
私は大きく深呼吸をして、込み上げる鼓動を必死でこらえた。恐らく声は震えていたに違いない。
「今村さん、よく聞いてくださいね。今から中国に来られますか?」
そんな表現しかできなかった。
「はあ? どういうことでしょう? 中国ですか? 何で? わたしゃ何も持っていませんよ」
まさか掛け合い漫才のコントではあるまいが、客観視するとそんな映像だったに違いない。
「ドナーが出たんです。それも今村さんにとって最高レベルのマッチングの」
・・・一瞬の沈黙が流れた。
「えっ、本当ですか?」
「冗談では言えません。とりあえず、本当にパスポートはあるんですよね?」
私は執拗に確認した。
「本当にあります」
今村の声に狼狽えは感じられなかった。
「お財布は持っていますか? 現金がなければクレジットカードでも構いません」
かなり強い口調で私は今村に迫った。
「そりゃ、カードなら持ってますよ」
今村の声は上ずっていない。
「わかりました。とにかく、今からすぐにタクシーで東京駅に向かってください。そしてすぐに成田エクスプレスに乗って、成田空港へ向かってください。細かいことはこちらから携帯で指示します。今村さんは何も考えず、とにかく一分でも早く成田へ向かってください。あとのことは日本のスタッフがやりますから」
ここで、今村と駆け引きをすれば時間的に命取りになる。私は瞬間的に判断し、そして今村は躊躇することなく私の強引な提案に応えた。
「わかりました。今すぐですね」
「そうです。今すぐにです」
これはサスペンスではない、こんなことが本当にあるのだろうか。私は日本語でN医師に状況を説明し、N医師がDr・Kに通訳した。まさかのまさか、まるでおとぎの世界の夢物語。もしくは出来過ぎた三流ドラマのシナリオの中ですら有り得ない現実。まるで、鉛の粒子がずっしりしと立ち込めた重厚な圧力から一瞬にして解放される体感を、決して大げさではなく、私は生まれてはじめてそんな感覚を味わった。
しかし、まだ、心から喜ぶには及ばなかった。飛行機に間に合わなければ意味がないのだ。
私は返す刀ですぐに日本のスタッフの杉浦千里(仮名)に電話を入れた。これもまたdocomoが一発で繋がった。手前味噌だが杉浦は有能なスタッフで、一回の説明ですべてを理解し、すぐに中国南方航空へ連絡を入れ、今村のチケットの手配に取り掛かった。しかし、これが意外と難航した。無理もない、離陸まであと二時間半、国際線故、搭乗手続き締切りの二時間前まであと三十分を切っていた。その時点で搭乗予定者はまだ成田空港ではなく東京駅に向かうタクシーの中。しかも、便はすでに満席状態で空席はビジネスクラスがわずか一席残るのみ。当日の電話予約は基本的に受け入れ不可で、先着順で誰かが購入してしまえばそれで終了。ましてや、出航時間に間に合うかどうかもわからぬ搭乗予定者のために、席を空けておくことなど不可能という回答だった。