5787 奇跡の波動7
3/22/19
第一章 繋がった命の電波 その二
・移植費用の行方(1)
中国での臓器移植手術。手術そのものの成功は大前提として、そこに至るまでの過程は容易ではない。むしろ、そこに至るまでの作業が我々サポート団体の役目とも言える。例えば手術費の支払い方法もそのひとつである。
なにも、ここが中国だからというわけではない。治療費前払い制度は恐らくだが、日本以外、世界的にはそれが当たり前で、治療費後払いシステムが確立されている日本の医療制度がむしろ例外的で世界的には珍しい少数派であると認識しなければならない。そして、日本式の後払い方式が当然だと錯覚している日本人が意外に多く、海外での医療制度に不満を覚える向きも多いのだがそれは少し違う。
移植希望患者には当然だが、事前にこの制度は説明してコンセンサスを得ているので特に問題はなかった。しかし、今回の今村のケースは完全たるイレギュラーである。しかも時間との戦いでもあった。どうしよう、明確な解決策が出ないまま時だけが過ぎて行く。
日本国内でできる最大のアルゴリズムは日本にいるスタッフの杉浦千里に任せた。成田発広州行の最終便は18:30発の日本航空0830便だ。今村の自宅がある小田原の銀行で夫人が預金を引きおろし、そこから夫人が速攻で成田から中国に飛ぶか、あるいは何らかの手段でその移植費用を託された人物がこの最終便に乗るか。そのどちらかが唯一無二の策であり、いずれにせよ費用を持った誰かが最終便に乗る、それ以外に道はない。しかし、夫人はしばらく海外に出ておらず新規のパスポートを申請中で手元にパスポートはない、万事が休した。
中国でできることは、R病院の経理事務側への再三再四の交渉。これも諦めずに、N医師が粘り強く交渉してくれた。そして、私の役目は、私が所属するNYの国際医療交流財団の宋理事長に緊急の電話を入れ、アメリカサイドから、R病院の経営サイドに理解を求める働きかけをしてもらうよう依頼すること。仮に資金が時間内に到着しない場合、財団が責任を持って保証するから、なんとしてでも手術を予定通り行っていただきたいと申し入れてもらうように懇願した。時差のためNYは深夜ではあったが、宋理事長は私からの緊急要請に応答し「わかった。やってみる」と即答してくれた。後述するが中国R病院での移植も、もとはといえば、中国人医師でもある宋理事長のコネクションがそのきっかけだった。太いパイプからの交渉に期待を懸けた。
時刻はすでに日本時間で午後四時、中国時間で午後三時。この三次元の空間では時間を止めることができない。今村が搭乗に間に合った束の間の喜びは、すぐに資金到着の不安へと変わった。この油断のならない長くて短い時間が、今村本人は当然として、彼を取り巻く家族や医療チーム、我々サポートスタッフの気持ちは間違いなく緊張と動揺の中にいた。
このような状態のなか、忘れがちになってしまうが、決して忘れてはいけないことを肝に銘じている。それはドナーとして亡くなられた方への追悼と感謝の念だ。中国での移植は、基本的に死体からの献体移植である。ゆえに、移植を待つということはすなわち、誰かの死を待つということに直結する。言葉を濁さずストレートに表現するならば、移植の順番が一日でも早く自身の元へ来るようにと願う思いは、同時に誰かの一日でも早い死を願う気持ちと同義語であると言えなくもない。だが、そんな風にドナーの死を願っているレシピエントなどひとりもいない。少なくとも私はそのようなレシピエントに遭遇したことは、ただの一度としてなかった。みな、順番待ちの列に並べるという事実だけで感激し感謝していた。今、我々にできることのもうひとつは、ドナーとなられた性別も年齢も、もちろん顔や名前もわからない尊い命への供養と、心からの感謝の念に手を合わせることだった。
(つづく)