少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

6216 10分の旅

6/7/19

バスは8分も遅れてきた。増してや雨。
裕二は時計を気にした。
列の後ろで待つ若い女性は、と言っても顔は見えない。
淡いベージュの差し傘で肩から上は自然に隠されている。
ただ、彼女が妊婦であることは、晒され、母照(ボテ)た腹の具合から容易に理解できた。
妊娠は何ヶ月くらいだろう。裕二には分からなかった。
裕二は、妊婦にバス待ちの順番を譲ろうかとも考えていた。
しかし妊婦は傘の中でスマホに忙しかった。
左手でスレンレスの細い棒を支え、右手の親指を巧みに上下左右させ、比類なきスピードで操作に鍛錬している。声をかけるタイミングすら、濡れた薄いベージュの向こう側から拒絶されているようだった。
順番を譲る声掛けができたとして、そのことで、万にひとつ妊婦が足でも滑らせてしまったらどうなるのだろう。増してや雨。
余計な親切こそが仇となる時代。裕二は心の中にある差し延べた善意の右手を、冷たいが静な左手でたしなめてみた。
妊婦が傘の肢を掴む左手のくすり指には指輪があった。高級なものかどうかの判断はつかなかったが、これで婚外子である可能性は低い。足下のサンダルから堂々とはみ出した裸足のつま先には、ピンクとムラサキが混合したようなマニュキアの色が不器用に塗られていた。しかも、伸びた爪の部分が処理されておらず、おそらく少なくとも2ヶ月の間は無粋に放置されたものと思われる。まだ、腹がここまで来る前に塗ったのだろう。ささやかなで慎ましやかなオシャレはどことなくだが微笑ましい。
だけど、彼女が着る黒のマタニティワンピースにある肩から手首にかけてのメッシュに施された原色の花や草の刺繍は品の良さが感じられない。中国の成金主婦、それも中年、もしくは食品市場で鶏肉を値切ることを日常としている生活主婦を思い出す柄だった。むしろなにも施さないスケルトンの方が上品でセクシーに見える。顔が見えない分だけ想像力も煽られるが、傘と刺繍のせいで、不埒な想いは萎えた。

8分も遅れたバスだが、いつもより少し早く走行している感じがした。目的地のアナウンスが流れ、裕二は降車ボタンを押そうとしたが、すでに誰かに押されていた。裕二は薄いベージュの傘の妊婦が腰掛けた前方の席に目を移したが、彼女の影はもうそこにはなかった。
ほんの少しだが約束の時間より早く着いた。今日は雨。10分足らずのバスの旅。

(作・安魔鬼太郎)

佼成病院に向かう京王バスの中で今しがた書き上げました。
未出品作品です。

少数派日記21

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