少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

6358 日本の醜態記念日

7/23/21

fa30y(7/23/21) 東京医科大学病院18階にて

 2021年7月23日。この日が日本の醜態記念日にならんことを。

1964東京五輪も、その年の前半、特に5〜7月は70年ぶりの猛暑に加え危機的な水不足だった。終戦(昭和20年、1945年)当時350万人だった東京の人口は、19年後の1964年には1000万人に到達した。
家康江戸時代は多摩川を水源とする手掘りの神田川玉川上水だけで賄えた都の水は、やがてダム(当時は奥多摩に作られた小河内ダム)を必要としたが、そのダムは干上がり貯水率6%と、あと2日、降水がなければ完全に枯渇した。

前川清とクールファイブの「東京砂漠」は愛の枯渇を謳った昭和歌謡ではなく、実はこの年に東京で流行した切実なる比喩だった。

とにかく雨が降らない、水がない。都民は子供から老人まで、自衛隊給水車が来るとバケツを持ってダッシュする。共同で井戸掘りが始まる。いまだに下町に点在する井戸の跡は、その年の名残りである。

断水続きの日々。水道局には人々が抗議に押し寄せる。母親が水を飲めなければ、乳飲み児が乳を飲めずに死するのみ。労働者が水分補給できなければ熱中症でぶっ倒れて家族もドミノで倒れて離散する。子供たちは学校より家族の水を求めて隣町まで行く。洗濯はできない。糞尿も処理できない。そんな中での東京五輪。現在の状況と酷似というか、数倍も過酷な状況下だった。

NHKの調査によれば、五輪を半年後に控えた世論調査で「五輪に興味がある 2・2%」「五輪?それどころじゃねえよバカヤローが、59・8%」だった。

自衛隊が人工的に雨を降らせる化学物質を上空に撒いたり、祈祷師がひび割れた小河内ダムに跪(ひざま)ずき、雨乞いしたりとか。

ここで思い出したのが1200年代の鎌倉幕府時代、博多、鎌倉と二度に渡る蒙古襲来、1000艘の軍艦に囲まれた日本の窮地を救ったのは「神風」つまり暴風雨だったと歴史書は語る。日本は「神事を司る神の国」とはこういうところから来ているのだ。天皇陛下は公務のない時は朝から晩まで御所にて祈りを捧げているという。真実だと思う。当時の昭和天皇もそうしていたはずだ。

枯渇寸前の前日、神風が吹いた。なんと、ほぼ90日ぶりの降雨は豪雨。貯水池は2〜3日で水が溜まり、干物のように干からびた乳飲み児が声をあげて泣けるまで生気が戻ったのだ。

現在、東京都の水源は荒川、江戸川を経由して利根川から一部を引いているが、その発想は、この年の水飢饉によるものである。

水を得た東京都民だが、まだまだ五輪を容認できる余裕はない。その間の紆余曲折は割愛するが、この時の東京五輪は戦後、原爆投下からの復興五輪が大義名分であった。昭和20年、焼け野原のTOKYO。戦争孤児、傷痍軍人ヒロポンGHQによる婦女子強姦の横行、売春、食料不足、今世の地獄絵図。
わずか19年で、世界最高速、時速210km(当時)の東海道新幹線を走らせた技術。これぞまさしく「安心安全」の象徴であった。

つづく

少数派日記21

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