少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

6361 五輪老人3兄弟

7/23/21

今朝の続き・・・

早朝6時から会場周辺をうろつく小倉五輪老人のはしゃぎぶりはさすがに引いた。スタジオの谷原章介ユダヤ問題のコメント中に無神経な現場中継。これは放送事故としても、これだけ温度差のある番組構成も珍しい。谷原章介の方が五輪問題に対して社会番組として真摯に伝えている。

小倉五輪老人は個人の趣味もあるだろうが、もはや職権濫用の域ではないだろうか?何でもかんでも無理矢理盛り上げようとするマスコミとその手先となる小倉、春日、小林らには後ろめたさという感覚がないのだろうか。

1964年、ガースの思い出話ではないが、アベベ、へーシング、東洋の魔女と、当時、何もなかった時代、プロも、スマホも、ゲームも、家庭用テレビもなかった時代は、嬉しかったかもしれない。

しかし、それもほんの一部の階級にしか過ぎないのだ。

雨乞いをして水を得た東京都民は、政府の指針で無理矢理の東京五輪へと先導される。「アジアで初のオリンピック」。NHKが保存する当時のフィルムには、厳かな点火式がアテネで行われて、そこから日本軍が侵攻したインパールなどの東南アジアを逆走して聖火を日本に運ぶという映像も流された。

日本軍に侵攻され、多数の犠牲者を出した諸国では聖火ランナーを沿道の人々が出迎え、現地の子供達が一緒に走る各国の様子が報道された。やがて聖火は海を超えて返還前の沖縄へ。ここでも進駐軍から禁止されている「日の丸」で沿道は埋め尽くされた。

実に感動的、万人に歓迎された東京五輪のように、人々の目に映った。
ところが実情はかなり違う。マスコミ(国営放送NHK)が都合のいい場面だけを切り取ったに過ぎない。
国民の暮らしは物価の高騰などで悪化して、五輪を歓迎する状況になかった。五輪に使われた膨大な税金と、五輪後の後始末にかかる膨大な負の遺産は、今とまったく同じ構図であった。

日本が世界に認められたというのも、一部の切り取りで、外国人から見た日本は「野蛮人」である。そらそうだ、1964年の日本、東京なんて、まだ裸足とか裸同然の下町貧民層が街を彷徨いている時代だ。カミカゼタクシーなんて、外国人目当てのぼったくりも横行して1990年代の中国の様に、順番も守らず我先に汽車に割り込む時代。ホテルニューオータニや新幹線、国立競技場など、一部のハードは充実しても、ソフトはまだまだ未熟、野蛮な時代であった。

3枚目のイラストはモンゴルだけど、日本1964もまあまあこんな感じだろう。
原爆ドームも生々しい。聖火はここを通過した。そして最終ランナーの酒井義則さん、当時20歳の早稲田競争部の学生は原爆が投下された昭和20年8月6日に爆心地で生まれた一般人。これがせめてもの美しい演出でありストーリーがあった。
今回、二番煎じでいい。復興五輪の名に相応しい、東北にまつわる人が最終ランナーであって欲しい。酒井さんと同じく、あの冷たい3・11、被災地で生を受けた無名の市民であって欲しい。

写真5は2年前の寝たきりの著者だが、今はコロナでエクモに繋がれて生死を彷徨う感染患者さんが日常的にいる。

呪われた東京五輪
まだまだ、恐ろしいことが起きる予感。
それでも楽しもう、盛り上げようという鈍感力は、残念ながら小生にはない。

少数派日記21

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