2498 悲しいコーヒー
5/3-17 FB投稿
悲しい朝、切ない音。
午前6時の起床時間を待つように、カツン カツンと廊下に響く金属音。
過日、サロンの隣席にて話を聞いたエリート商社マン56歳。左足膝下から切断、毎朝、歩く訓練。
会釈だけする。カツンカツン。
サロンに行き、日課のFB記事を書く。
車椅子の40代男性患者が看護師に押されて販売機に来る。
彼の場合は左足の大腿部から切断された。缶コーヒーが目当て。
「缶コーヒーなら1日に2本。カップのコーヒーなら1日に一杯までって約束したでしょ」
「誰と約束したんだ、そんなこと」明らかに不機嫌。
「先生と約束したでしょ」
「知らんけど」
「先生、昨日もちゃんと来てくれたじゃないですかぁ」
「来てくれた? そういう言い方はやめてもらえます!医者が来るのは仕事だから当たり前でしょ!」
患者の言い分ももっともである。
しかし、患者と茄子には歴史があるのでここでは何もわからない。患者は不貞腐れていたので、小銭を床にばら撒いてしまった。
それを茄子が拾い集め、缶コーヒー2本を買って戻った。
朝食後、私が電話のために再びサロンに行くと、件の40代が車椅子で現れた。小銭を取り出し、また缶コーヒーを仕入れている。
すぐに茄子が来て、また連れ戻した。
缶コーヒー、もしくはコーヒーが、どれだけ彼に悪いのかわからんが、我慢するストレスと足し引きしてどうなのか? そこまで計る医者は日本にはおるまい。
生きたい人、特に無理して生きたくない人、死にたい人。
人はそれぞれだけど、人の死を見つめるにつけ、寿命というか運命は産まれた瞬間に定められているのだと思う。
彼が足を失くした経緯はわからんが、一杯のコーヒーで彼の気持ちが落ち着くなら、あくまでも自己責任で、と、責任のない、車椅子のドングリ男は、そう思った。