4048 M(記者)の悲劇
5/9/18
FBFのみなさま、おはようございます。
雨のTokyo rainy grey・・・。(長いけど、きっとオモロ〜)
まさかの、梅雨入り?
人の人生など、せいぜい100年。宇宙や地球の規模からすれば、砂時計の中の一粒の砂のようなもの。されど、その砂の中には100年分の人生があり、それだけ生きれば幾度かの天変地異に出会い、雨だ、雪だ、地震だ、洪水だ、暑い、寒い、痒い、痛い、腹減ったが訪れる。地球に言わせれば「それが、何か?」であろう。幸いなことにまだ槍(ヤリ)は降って来ない。かつては織田軍が火槍を放ったが、それは人為的なもので、天からのものではない。
しかし、天変地異は織田軍の奇襲よりはるかに怖い。
婦女子はもとより、義父・道三を始め、ごく親しい身内にまで手をかける非情さは、北の小さなロケットマンと双璧といえようか。その織田軍より怖い。
気温、気圧、湿度、数字にすればわずかな差。されど季節の変わり目に人は体調を崩し、召される人も少なくない。それは、人間が精密機械であり、トイレに落とした携帯電話が再起不能になるのと同じ。そう、あんなに便利な携帯でさえ水没したらお仕舞い。
かつての早稲田ボクシング部出身、中日スポーツの相撲担当M田記者が、国技館のトイレにてウオークマンを聴きながらの脱糞、108の煩悩のひとつである排便欲から解放され、脳から幸福ホルモンドーパミンの大量発生により、開放感から全てが無に還り、さらに肛門洗浄機により、ある種の性感帯を心地よく刺激され、ゾーンに入った刹那、厠紙にて、仕上げの清掃作業に入ろうと通常の動作、すなわち、便座より毛深き尻を自己責任で浮かせ、おもむろに中腰になった間髪、みなさまが期待する悲劇、他人の不幸は蜜の味、そうです、M田記者の両耳と細い紐で連動した「歩き人間ウオークマン」は便座にぶつかる衝撃音とともに、命知らずどもが高所からダイブするオリンピックの飛び込み競技、あの美しき嬢王・馬淵優佳(瀬戸大也の嫁はん)と同じ着水音を残し、阿蘇山大噴火の火口の中へと埋没。不幸中の幸いだが、M田記者は、その悲劇を目撃せず、耳もイヤホンで塞がれ埋没音も聞いていない。我が子の断末魔の状況だけは脳裏に残らずに済んだ。
夜、私の下宿の黒電話が鳴る。かなり遅めの時間だった。
「話さなければならないことがある、明日、昼メシ食おう。オゴる」
彼は、両国駅前のパールホテルに宿泊していた。かなり酩酊していた様子だ。元来はボクサー、酒との縁は遠い。聞けば室内冷蔵庫の缶ビール1本とワンカップ半分で出来上がってたらしい。涙声にも聞こえた。何があったのだ、M田記者。
M田記者はたぶん私より二個上。愛知の進学高、一宮高校から現役で早稲田に合格、Y売新聞の入社だが、何やらトラブって中日に中途採用の経歴を持つ、物静かな熱血漢、薄い頭髪の無頼漢、私と投合できる数少ない記者。心配だ。その時点で、私はまだ埋没事件を聞かされていない。いったい何があった?携帯もメールもない昭和の時代。
翌日昼。指定された蔵前橋通りと清澄通りの交差点で待つ。トイメンには墨田区の東京震災慰霊堂公園が。その角の交番の前を指定されたが、男2人がそんな場所で待ち合わせるのは何かの取引と勘違いされて職質の対象になるから、場所の変更を申し出て、反対側の相撲煎餅の店の前にした。
M田記者は、何も告げず、私の前を歩いた。約3分。清澄通り沿いのとんかつ屋さんだった。「ここ来たことある?」M田記者は私に尋ねた。
実は私の下宿からも徒歩3分。なぜなら私の下宿は相撲煎餅の裏にあったのだ。
とんかつ屋の存在は古くから知っていた。が、当時の手取り13万5000円のドブさらい記者に750円のとんかつ定食は論外の存在。会社で配給される350円の食券を持ち、品川本社の地下食堂、通称人民食堂での馳走が我が最大のゴハンの時代。
M田記者は名古屋本社からの出張扱い故、給金とは別途で2000円也の日当が出るということでここは大船。「力士がよく来る店で量が多いから安藤に食わせてやりたかった」そうで、お互いに独身、女房子供の顔も浮かばず、大判振る舞いのヒレカツ定食ゴハン大盛り900円をタカる。「親方中日、任せとけ」と頼もしい早稲田ボクシング部。
そして腹も満杯、108の煩悩のひとつ食欲も完全に満たされ、中日スポーツ名義で領収書を切ってもらったM田記者は、爪楊枝スーハーしながら、また前を歩く。よほど切り出しにくい話なのだろうか、当方、身構える。
「実は安藤に悪いことをした」
(き、来たか!)
「ハア?」
「単刀直入に言おう。君に借りてたな、あのサザンのテープなんだけどな」
「ハア?」
「実はアクシデントが起きてな、返せえへんくなった。ワリぃ」
話はここで終わった。ヒレカツごはん大盛りの恩義もあり、理由(ワケ)は聞かなかった。男の友情ってやつでもある。武士の情けは、たとえドブをさらおうとも捨ててはいけない。第一、私自身、M田記者にサザンのテープを貸したことを覚えていなかった。いつの話だろう?もしくは誰かと勘違いの線も。
阿蘇山大噴火埋没事件の真相を聞かされたのはそれから数年後のことだった。紆余曲折してM田記者が広島へ飛ばされた(転勤)た。カープの担当になった。中日新聞では名古屋本社以外の勤務は「飛ばされた」という。
落ち込んでるのではないかと、スワローズ遠征の折訪ねてみた。M田記者の下宿はマンションだった。いい暮らしじゃん、と冷やかした。会社支給の家賃に自費を少し足して借りたそうだ。1DKだが白い壁には、早稲田の角帽と、弾いたこともないエレキギターと、ボクシングのグローブが飾られていた。ハハーン、広島のナオンでも連れ込んで、魅惑させる魂胆かね、昭和時代の山口メンバー。
で、早速、私は全裸になり、角帽をかぶり、ギターを抱え、グローブをはめて、矢吹丈の真似をして、からかってあげました。そこで、ようやく彼の心の鎖がほつれたようです。
「実は・・・」
と聴き取りにくいほど小さな声で、ポツリポツリとあの日の両国国技館での出来事を、言葉を選ぶようにして彼は話し始めました。
どれだけ、私が笑いを堪えるのに苦労したか想像してみてください。
しかも、こちらは全裸。角帽にエレキにボクシンググローブです。
「安藤には本当に悪いことをしてしまった」
「気にしないでください」
(ていうか、何のことを言っているのか最初は意味不明。当方思い出せず)
M田記者、あの日の悲劇を仔細に話す。
「そうでしたか、そんな辛い出来事があったんですね。あのヒレカツ定食の前日ですよね。はいはい覚えていますよ。知らなかったとはいえ、こちらこそ、察することが十分にできずに申し訳ございません。お悔やみ申し上げます」
「そう言ってもらえると、多少は心の乱れが抑えられるけど、パンツも履いていない男に言われても、正直、心に響かない。安藤の気持ちはよくわかったから、せめてパンツだけでもいい、履いてはくれまいか」
M田記者は、私に心から懇願した。先輩でもある。ここは顔を立てるのがスジだろう。私は屈辱を捨てパンツを拾った。この「捨、拾」という字だが、よく似ていて分かりずらい。引く線をチョイと間違えると全く逆の意味になる日本語の美学。
私は尋ねました。
「で、その歩き人間はどうしたの?」
M田記者は、一旦拾い上げ、厠紙で大雑把に拭くも完全に拭き取れず、大量の厠紙で包みバッグに仕舞う。もう、幕内の取り組みも始まる時刻。中日スポーツのロッカーから異臭が漏れまいか、そればかりが気になり若貴どころの騒ぎではなかったそうだ。さぞや、肝を潰したことだろう。
気もそぞろで原稿を仕上げ、力士取材と偽り、帰社せず、ホテルにこもり、石鹸でゴシゴシやった。何とか臭いは取れたものの、洗浄しすぎたのだろう「歩き人間」は「歩かない人間」になった。問題となったサザンのテープだが、鼻をつけては何度も臭いを嗅いだ。結局、鼻がバカになり、磁気の臭いと糞の臭いが混濁した。
結局、本場所14日間の最終日まで「歩かない人間」は幾重にもラップされ、臭い漏れは完封されて両国パールホテルの一室に安置される。彼も大枚はたいてボーナス月賦併用で購入した自慢の元「歩き人間」。その埋葬方に悩んだ末、パールホテルの眼下に流れる隅田川に水葬して永遠の別れを告げることにした。ひとりぼっちの葬送式。彼の目には薄っすらと光るものが。パンツを履いた私は、自身の尻を悟られぬように、きつくつねっては堪えた。
「それは、せっかく運のついた歩き人間を、M田さん自身が、自らの手で運を落としたってことですよね」
我ながら秀逸なコメントだと思ったが、彼は逆に怒りを堪えるような感じだった。彼は数々の美しき想い出を隅田の川に流し、人生を一からやり直す決意をしたのに、パンツ一丁の男に容喙(ようかい=茶々を入れられる)され、悲しかったのだ。
その割には、桑田佳祐を真似て買った通販のギターも調音もできぬまま壁の一部と化し、憧れの角帽は在学中にかぶる気恥ずかしさか、過去の栄光の拠り所として一宮の実家から広島まで持参した愛すべき引き篭もり記者。
「よしわかった、安藤がそこまで言うなら、これやるわ。俺だと思って大事にしてくれ」と手渡されたのが、パンツ一丁の男がはめている、氏の早稲田時代のボクシンググローブ。「困ります」とは言えまい。「いやいやとんでもない、もったいないっす」との遠慮も「安藤らしくない、俺の青春の想い出だ」とか言われて、いただくことに。
これは早稲田と講道館柔道を舞台にしたバロン吉元先生の大作「柔狭伝」第1部のエンディングに酷使している。天覧柔道大会で日本一となった主人公・柳勘九郎が日本を離れモンゴルへ渡り、彼の地で馬賊と戦い戦死。その遺品の柔道着が早稲田の師範、勘九郎の盟友である矢崎正介の元に届けられる。そしてその矢崎正介は早稲田の教授になり、たまたま道ですれ違う名も知れぬ少年に、勘九郎の目に似ているという理由から「この柔道着を君に譲ろう」と言っておわるのだが、その柔道着を受け取った少年こそがのちの猪熊功、東京五輪無差別級の金メダリストであった。
俺は矢吹でも猪熊でもない。一介の記者の上にドブさらいの形容がつく、地を舐めるような存在なれど、M田の汗ならば、受け入れよう。実はすでに自宅に、もうひと組、早稲田ボクシング部のグローブがある。こちらは共同通信社のカメラマンK泉氏。ある時彼が実は東京五輪の補欠選手で早稲田ボクシング部と知り、それ以来「チャンピオン」と呼んでいた。それがいたく気に入ってくれたらしく、ある日の神宮球場「いや〜、チミだけなんだよな、俺のこと、そう呼んでくれるのは。これさ、俺が当時、使ってたやつなんだけどさ、チミにやるよ」。靴のヨシダの紙袋に入れられた赤い10オンスのグローブ。汗の臭いも化石化されていたが、エヴァンス社製のモノホン。
男どもの青春の砂鉄、血と汗の滾りと挫折、しかと受け止めた。
ところで、俺のサザンのテープはどうなったと?
「実家にある。引き出しに入れといたらふた夏の間に、テープとテープがくっついた。多分聞けないと思うけど、見た目は普通。返そうか?」
いや、その件はヒレカツ定食ゴハン大盛りでカタがついた、もういい。友情の証として、願わくば、棺の中に入れて旅立ってもらいたい。
本日もついてる 感謝してます。
コメント
シゲトさん「これぞまさに 糞系の友ですよね〜ごめん🙇なさい🙏」
裏総理「飛松さん、糞の元は、元々はグルメな食事。で、皆さん、糞を汚がりますが、糞は立派な微生物たちの食糧。下水に流さず、昔のように人糞として大地に返せば、再び栄養価の高い食物が生まれ、化学薬品を使わず、人間も地球も健康になる。まさしく糞系の友ですよ」
サトシアラキさん「バロン吉元さん描く女性はみな唇💋が情熱的で大好きっす。中学時代サンデーかマガジンの少年誌で学生の相撲物を連載されてました」
裏総理「荒木さん、バロン先生のファンとは嬉しいです。
www.baron-yoshimoto.jp/main.html」
サトシアラキさん「おー!ありがとうございます😊。覚有情の図は画俠伝の本内にあるのでしょうか。体調第一で、もし行かれるのならご一緒しようかと。実家母が、となりの鳩山町に住んでまして」
裏総理「荒木 聡 さん、それはいいですね〜!ぜひぜひ」
サトシアラキさん「東松山迄来たんだと、母にも立ち寄る口実になりまする。安藤さんの体調次第で構いませんので。因みにタコス🌮は予約が必要なんでしょうか」