2012 シカゴ紀行4
安藤総理がまだ小学生のころ、サラリーマンだった安藤親父が副業で名古屋の今池地下街に「保名(やすな)」という和食レストランを経営していました。
総理はそこで小4から皿洗いの修業に入り、小5で見習い職人、小6の時には、天麩羅職人として高下駄を履き、天麩羅定食と天丼の担当として、そこそこ稼いでいました。まさか、お客も小学生が揚げた天麩羅とは思わなかったでしょうね。これ、マジな話しです。
そんなわけで、小学生のくせに、いっちょまえに、閉店後の深夜、名古屋の繁華街「栄」のサウナなどにひとりで出入りして、親父に捜索願いを出された時にはビビりました。サウナからホテルに帰る途中で、おまわりさんに職質された時には、逮捕され監獄にぶち込まれるかと思いました。なんせ、サウナの更衣室の鏡の前に置いてある、あこがれのMG5のポマードをかっつん(名古屋弁でかつる=ガメる=盗む)したので、それがポケットにあり、もう盗んだことがバレて、全国指名手配されたかと思い、翌朝の新聞に出て、また母親に叱られる・・・と覚悟を決めて、手錠をはめられると思い、自ら両手をおまわりさんに出しました。(最後の部分は少し盛りましたけど、ほとんどマジです)
小学校もクビになり、網走の少年院に送られると、マジに思いました。
その後、親父は調子に乗り、シカゴにも共同経営で「末広」という和食レストランをオープンしました。今回、はじめて、ビーバーの日本人の旦那さんに聞いたのですが、デーブ・スペクターが、そこに日参していたようで、デーブはそこで日本語を覚えたそうです。
さらに調子に乗った親父は、当時の「今村」、現、名鉄・名古屋本線「新安城駅」北口に「スナック やすな」をオープン。親父は「スナック=軽食」のつもりでネーミングしたのですが、みなさんがイメージする「スナック」ではなく、ただの「立ち食いうどん屋」です。
メニューは、立ち食いうどん、おにぎり、カレーライス、機械で焼く焼き鳥、で、店名が「スナック やすな」・・・。潰れました。
アウトでしょ・・・どう考えても。
まだ、愛知県に立ち食い蕎麦や立ち食いうどんなんて無かった時代。(今でも新幹線の名古屋駅ホームの立ち食いきしめん以外、立ち食い系は、ほとんど見かけませんが・・・)。
東京によく行く親父は、新橋や渋谷の立ち食いをイメージしたと思うのですが、田舎の人には「なんで、うどんを立ったまま喰わにゃいかん?」ということだったんでしょうね。あと「スナック」は明らかに、アウトなネーミングでした。
何故、このような話になったかというと、この店で、当時、18歳のビーバーが働いていたのです。「TAKAKIのお父さんから、おにぎりとか、うどんとか、焼き鳥とか、いろいろ教えてもらいました・・・。私の握るおにぎり、大きすぎると叱られました。力入れすぎてもだめ。もっと、柔らかく握ってください・・と言われました。大きい、強く握ると・・・お米たくさん使うから儲からないね・・・言われました」とビーバーがカフェを始める原点となったのが「スナック やすな」だったそうなんです。
かわいい双子ちゃんのお客さん。なぜか、パパが二人。アメリカではもうポピュラーな光景です。ホットな話題で、日本でも昨日、同性(女性同士)の夫妻にできた子供(母親が他者から精子提供された)の父親(女性)が戸籍上の父親として法的に認められました。
オーナーのビーバー。
店の外はこんな感じ。ヨーロッパぽいかな。
リスもちょろちょろ。アキラ先輩もエサ集めないと冬越せないし、大変だわ。(店内からの撮影)
アキラ先輩知らない人は、ここをクリックしてくださいね。
http://shirituebichu.info/archives/58944
まだまだ続きます。