4636 タクシードライバー苦労人とみえて
7/11/19
FBFのみなさま おはようございます。
本日も私的状況報告につき、お時間ある方限定でお願いいたします。でも、これは読んでいただきたいです。
『人生で一番恥ずべき朝』
「あんたふざけんじゃないよ、手伝いもしないで、なにふんぞり返ってんだ」
私は暴言を吐いた。
先週の土曜日、7月6日のことだった。
前日まで3週間、三宿病院での内科治療に成果がなく外科治療への方針転換が決まり、宗教病院へ転院するためだ。本来なら病院to病院で荷物をまとめてタクシーで移動すれば楽なのだが、まだ宗教病院から受け入れの許可がない。ベッドの空きがなければ断られ難民となる。セカンドオピニオンで三宿に入院しながら宗教病院で受診→入院という方法が安全パイだが、それは厚労省の定めにより、入院中に他病院への受診はセカンドオピニオン代金として相手側の病院に「2万1600円」也を支払わなければならない。
マスコミは声高にセカンドオピニオンを提唱するが入院中は無料ではないし、高額である。以前、この宗教病院で揉めたのは皮膚科で入院した私が、整形外科に転科が必要とされながら、入院患者にも関わらず、院内での転科は病院内の規定で認められず、とうとう入院中に整形外科の受診が受けられなかったためである。結局、病院側からは一旦、皮膚科を退院して新たに外来で整形を初診で受付して、そこで必要なら入院してくださいと、あり得ない対応で、法的措置の準備に入りました。
というわけで21600円を払い、板橋の帝京大学病院まで足を引き摺ったわけです。
(すみません、これは前説で本題とは関係ありません)
で、ナースM子さんの幻影を纏い、金曜日夜に三宿を退院。早朝に洗濯して乾かす術なくコンビニ袋に詰める。ご家族様にご迷惑はかけたくなかったので、ひとりで行こうと思ったのですが、実は足の状態が思わしくなくひとり移動は断念。せめて高額授業料のスポンサーとして1号にヘルプを頼むも、よくもそこまでブー垂れるという不遜の態度に、キレる覇気も失せ、「じゃあ、もういいよ」と静かに啖呵をきる。
切ったはいいけど、執筆用の資料が大量の書物ゆえ、重い重い。キャリーバック2個に、メルカリで買った骨盤矯正椅子アーユルチェア。少し長くなるだろうから衣料の追加等々で、やっぱり一人では無理。恥を忍んで、途中のコンクリ橋桁に腰掛け、ヘルプの電話を鳴らすが出る気配一向になし。タクシーを拾いたいのだがタクシーが走る表通りまで1分の距離、往来の行き来は見えている。しかし、そこまで辿りつけない。途方に暮れてると雨までポツリと来やがった。
この路地に流しのタクシーが来ることはない、迷子のタクシーか乗客が目前で下車するかのどちらかだ。刻は一刻を刻み、雨粒は心なしかでかくなり、顔に当たる量も増えて来る、ああなんてこった。
肩をすぼめへこんでいると、背中に優しい女性の手の温もりを感じた。
「どうかされましたか?」
ゆっくり振り返ると見知らぬ老婆だった。
「お兄ちゃん、この前はどうもありがとう。本当に助かったわよ」
どうやら老婆は私のことを知っているようだ。私には思い出せない。
「ほら、あの時xxしてくれたでしょ、嬉しかったわよ」
「ああ、あの時の・・・」
書くほどのことではない、小さなお手伝いで1000円のチップまでいただき、こちらこそありがとうございましただ。
「どうされました、何かお困りですか?私でよろしければお手伝いさせていただきますよ」
涙が出そうになった。
タクシーが通る中野通りまで1分とはいえ、80の齢を超えているだろう老婆を拾いに行かせるには忍びない。
「大丈夫です、大丈夫です」と遠慮するものの、どうするアテもない。老婆の申し出に頭を垂れ、受けさせていただく。
すぐに老婆はタクシーをつかまえて来てくれた。
「お役に立てて嬉しいわ」と言って老婆は重い荷物をトランクに入れるのを一緒に手伝ってくれた。
足に違和がなければ、タクシーも荷物も問題なく、一生思い出すこともなく忘却の彼方の日常のワンシーン。タクシー運転手の横着にも特になにも感じないはずだ。しかし、最近の東京のタクシードライバーのマナーは驚くほど紳士的だ。東京五輪を見据えて各社の教育が徹底してると見え、トランクを開けると同時に、ドライバーが手伝うのが日常となっている。
そんな背景もあった。
行き先を告げタクシーは出た。
窓の外では老婆が嬉しそうに、角を曲がるまで手を振ってくれる。もちろん名も知らないおばあちゃん。
角を曲がったところで運転手が言った。
「お客様、大変申し訳ないのですが、シートベルトを締めていただけないでしょうか?」
運転手の口調は丁寧だった。キレる場面ではない。だが私はキレてしまった。
「あんたふざけんじゃないよ、手伝いもしないで、なにふんぞり返ってんだ。で客にシートベルト締めろ、冗談じゃねえ、あんなお婆さんが重い荷物運ぶの見て、あんた、何も思わんのか?俺も足が痛くなきゃ、こんなこと言いたくないけど、降りて来て手伝うのが普通だろ。あんた名前は?」
冒頭の暴言だ。
運転手は「不愉快な思いをさせてしまい、大変申し訳ありませんでした」とすぐに謝った。
私の怒りは、あんなヨボヨボのお婆ちゃんの姿をバックミラーで確認しているのに、運転席から降りようともしない運転手の横着な態度が許せなかったのだ。
「謝るくらいなら、最初から降りて手伝えばいいだろ!」
キレに拍車がかかった。
タクシーは無言のまま1ブロックを過ぎたあたりまで、時間にして1分もなかった永い沈黙。
「次、右」「はい」
私の指示は命令だった。
「あの、お客さん、ひとことだけよろしいでしょうか。とにかく、先程はすみませんでした」
「はい、どうぞ」
どんな言い訳でも論破してやる、そんなつもりだった。
「あの実は、私、障害を抱えておりまして、生まれながら、つまり先天的な脳性麻痺を患っているんです。だからと言って言い訳にはなりませんけど」
「え、何?もう一度、お願いします」
「はい、先天的な脳性麻痺で、生まれたときから下半身が言うこと効かずに、日常生活は電動の車椅子なんです。ですからね、一旦、運転席に座ると、降りられないんです」
「え?まじですか?」
「はい、ですからね、運転はぜんぶ手でやってるんですよ。アクセルもブレーキもぜんぶ手で操作してるんです」
「え?そんなことができるんですか?」
「最近は便利になりました」
自分の全身から血の気が引くのがよくわかった。自身の羞恥に身の隠し場所を探した。
「運転手さん、ごめんなさい。知らぬこととは言え、酷いことを言ってしまった。許してください。本当に申し訳ありません。自分が恥ずかしいです」
とにかく思いつく、謝罪の言葉を並べた。心から自分を恥じ、運転手に暴言の許しを乞うた。
「お客さん、そんなに気になさらないでください。お客さんが悪いわけじゃありませんから」
中島みゆきのタクシードライバーという曲のワンフレーズがリフレインした。
「タクシードライバー〜苦労人と見えて〜」
宗教病院までの短い時間、車外へ逃げ出したい私は彼の話を聞いた。
千葉県生まれ、中学を出て16歳の時、「これ以上両親に迷惑かけたくないから」と言って東京小平の障害者職業訓練学校に入る。その後、カメラのレンズを作成する会社に入り、以来、転職せず、定年まで’デスクワーク一筋。デスクワークとは苦情処理係だった。数多くるクレームだがレンズに関する知識は専門なので技術に関するクレームは処理できる。だが、その他のクレームは慣れるのに時間がかかったとは言え「ぜんぶいい思い出です」と彼は笑う。「ですから、人に怒られたり、叱られたりするのが僕の仕事ですから、お客さんも、本当に気になさらないでください」と彼はいう。
「定年退職されて、それでタクシーなんてキツくないんですか?」
「逆に楽しいです。運転大好きですし」
「でも夜勤とか大変なんでしょ?」
「いえ、僕は日勤専門で朝7時から夜7時までなんで平気です。それに給料もいいんですよ。以前の会社の2・5倍もいただいていますから」
「え?2・5倍?」
「はい。先月はおかげさまで売り上げが93万円ありました。そのうち55%もいただけるんですよ」
「え!」咄嗟に暗算した。凄いじゃん。
「凄いですね!」
「はい、おかげさまで、いまが一番楽しいです。収入が増えたんで、孫たちを食事に連れてってやることができて、本当に充実しています」
「お孫さん?ですか?」
「はい、おかげさまで孫が5人、ひ孫がひとりおります」
息を呑むだけで、一瞬、声も出なかった。
「きょう、僕は、してはならない暴言を吐いてしまいました。運転手さんのシートベルトの件がなければ、腹を立てたままの入院でした。モヤモヤしたままでした。でもね、運転手さんのシートベルトの発言で色々と学ばせていただいた上に、こんな素敵な話まで聞かせていただき、運転手さんには不快な思いをさせてしまいましたが、なんだかとても嬉しい気分で、入院できます。本当にありがとうございました。そしてごめんなさい」
タクシーは宗教病院のロータリーに着いた。料金1670円。
足立区T交通 ドライバー・HMさん 63歳。
本日もついてる 感謝してます
手術は午後2時30分。